熟成古酒「達磨正宗」の世界 - 伝統の酒蔵が引き出す時間の「うま味」

岐阜駅からバスに揺られること50分。のんびりとした田舎道に、1835年から変わらぬ場所で酒蔵を営む「白木恒助商店」があります。熟成古酒という新たな日本酒のかたちを確立させ、一から日本酒づくりに励む蔵人たちの様子を覗きに行きました。
- 目次
- 1835年創業――テレビの普及がピンチとチャンスに
- 誰も知らなかった古酒の正体――善次さんがたどり着いた“うま味”の秘密
- 自然の温度で醸す、職人の手仕事が生み出す古酒の深み
- 古酒の知見を踏まえて、贅沢な3種飲み比べ
- ズラリと並んだ圧巻の古酒年表から、歴史に思いを馳せてみて
- 「達磨正宗」と醸造文化をより身近に
1835年創業――テレビの普及がピンチとチャンスに

1835年に創業した酒蔵「白木恒助商店」。蔵のある一帯は、長良川の支流・武儀川(むぎがわ)が潤す田園地帯。水と米に恵まれた土地であり、寒暖差のある気候も日本酒造りに適していました。以来190年間、白木恒助商店は変わらぬ土地で酒蔵を営んできました。
転機が訪れたのは、東京オリンピックの開催が決定し、テレビが普及し始めた1950年代後半のこと。それまで地元の方を中心に愛されてきた日本酒の売れ行きが、徐々に鈍りはじめたのです。
きっかけは、テレビで放映されるようになった大手酒蔵のCM。選択肢が広がり、流通が発達したことで、当然のように飲まれていた日本酒が売れなくなっていきました。
この状況をいち早く危惧したのが、現蔵元・白木滋里(しらき・しげり)さんの父・善次(よしじ)さんでした。
ある日、善次さんは蔵の片隅で忘れ去られていた数本の一升瓶を見つけます。恐る恐る封を開け、グラスに注いでみると、その色の美しく神秘的なこと――。
黄金色に輝く日本酒は、飲み口がまろやかで、うま味が底上げされた逸品だったと言います。唯一無二の可能性を秘めた酒だと確信し、熟成古酒の研究に乗り出します。
しかし当時は「作った日本酒を売らずに貯めている」「色のついた日本酒なんて…」と、周囲から冷ややかな目で見られることも。当時幼かった滋里さんにとっては、少し苦い記憶として残っているそうです。
それでも、今回蔵を案内してくれた滋里さんはこう語ります。
「“たまたまできたお酒でしょ?”なんて言われることもあります。でも、うちの古酒は、父が1971年から“熟成古酒で勝負する”という信念を持って作ってきたものなんです」と、笑みを交えながらも、凛とした口調で話してくれました。
奇跡のような発見から始まった熟成古酒造り。どのようにして現在のかたちに昇華されていったのか、その歩みを紐解いていきます。
誰も知らなかった古酒の正体――善次さんがたどり着いた“うま味”の秘密

善次さんがまず辿り着いたのは、昔の文献。鎌倉時代から江戸時代 (1185年から1868年頃)にかけて、日本には“古酒”という文化が確かに存在していたことが記されています。
例えば、鎌倉時代の著名な僧侶であり、有力な宗教指導者でもあった日蓮上人の手紙の中には「人の血を絞れるが如き古酒」との表現が。人の血のように赤く、強烈な個性を持つ古酒が想像できます。
しかし、古酒の存在は確認できたものの、造り方まではどの文献にも書かれていなかったと言います。そこで善次さんは、わずかな文献と自らの想像力を頼りに、手探りで古酒造りに挑みはじめたのです。
“血を絞ったような酒ということは、赤みを帯びた酒だったのかもしれない”
“当時は精米技術が発展していなかったから、米の外側もそのまま使っていたのでは”
“冷蔵庫がない時代、きっと常温で保存していたはず――”
こうして仮説と研究を繰り返し、赤いお酒は、アミノ酸と糖が豊富に含まれていると起こる「メイラード反応」から生まれていたことを突き止めました。長期間発酵させることで起こるメイラード反応は、まさに日本酒における“熟成”の本質そのものでした。

1971年からは、甘い純米酒や辛い吟醸酒など、さまざまなタイプの酒を少量ずつ仕込み、熟成の様子を見守る年月が続きました。
今でこそ、熟成古酒の名店として名が知られていますが、当時としては新進気鋭の試み。税務署から「寝かさず、早く売って酒税を納めるように」と指導が入り、周囲から「売らずに貯めてるなんて非常識だ」と冷ややかな視線を浴びることも少なくなかったと言います。
そんな善次さんの挑戦に、最初に手を差し伸べたのは、地元の銀行の頭取や百貨店のバイヤーたちでした。彼らが価値を認めたことで、徐々に“熟成古酒”という考え方が広まり、やがて「古酒といえば達磨正宗」と呼ばれるまでに至ったのです。

生まれた年に仕込んだ酒を20年後に楽しむ“時を贈る酒”「未来へ」や、熟成年ごとに味わいが変化するビンテージ古酒、さらには古酒から仕込んだ梅酒まで、多彩な商品が揃います。

熟成の研究が始まった当初に仕込まれた酒は、今もなお蔵の中で静かに眠り続けています。それはまさに、時代を超えて紡がれた知恵と信念の結晶。古酒の一滴に込められた“時間のうま味”が、静かに語りかけてくるのです。
自然の温度で醸す、職人の手仕事が生み出す古酒の深み

善次さんの研究によって、確立された「熟成古酒」という新たな日本酒のかたち。現在、白木恒助商店では、より身近に熟成古酒や日本酒造りを感じてもらうため、酒蔵見学を受け入れています。
日本酒の芳醇な香りが醸される酒蔵からは、いくつもの研究の軌跡と、1835年から受け継がれてきた日本酒造りの伝統が垣間見えました。
酒造りの要となるのは、酒蔵の温度管理。酒をタンクに仕込んだ後、発酵の進み具合を見守り、温度を調整するのは、蔵を預かる杜氏(とうじ)の仕事。この仕事に欠かせないのが、タンクに這わせた無数のホースだと言います。
これは冷暖房に頼らず、自然の温度で日本酒を醸すため、夏は冷水、冬は温水を入れて発酵度合いを調整する工夫。寒さが厳しい冬であっても、発酵が進みすぎると判断すれば、冷水を通すこともあるそうです。
麹づくりもまた、蔵の大切な営みのひとつ。滋里さん主導のもと、2日間かけて職人の手で仕込まれます。蒸した米に種麹(たねこうじ)を振りかけ、ほぐし、撹拌を重ねながら、じっくりと麹菌を育てていきます。

この麹が生まれるのは、麹室(こうじむろ)という小さな部屋の中。外気に左右されず、常に30度前後に保たれた空間の中で、静かに、力強く命が育まれていきます。
見学の道すがら、蔵の奥には圧巻の仕込みタンクがいくつも並びます。熟成用には年間2〜3タンク仕込まれ、ほかにも、自宅で熟成する様子が見守れる「未来へ」や、梅酒など、多彩な酒がじっくり育てられていました。
「熟成って、放っておくんです」と、滋里さんは静かに語ります。

加熱処理を経てタンクに移した時点で、酵母や酵素の働きは終了。その後は、空気との接触を避けながら、ひたすら“待つ”ことが大切なのだといいます。見守る気持ちが強すぎると、タンクの蓋を開けてしまい、そこから雑菌や乳酸菌が入るリスクも伴います。
長年の経験から導き出された最適なアミノ酸と糖のバランス、空気との接触比率、そして熟成の進行度――。すべてが計算され尽くした上で、あとは時の流れに身を委ねるだけ。
そうして静かに醸された古酒「達磨正宗」は、見学の締めくくりに、利き酒というかたちで、その深い味わいを確かめることができます。
古酒の知見を踏まえて、贅沢な3種飲み比べ

酒蔵見学の最後を彩るのは、お待ちかねの利き酒体験。見学コースによって内容は異なりますが、熟成年数の異なる達磨正宗の古酒を飲み比べることができます。
ここで味わえる古酒は、ただ「3年」「5年」といった数字で語られるものではありません。白木恒助商店の達磨正宗は、「3年以上」「5年以上」といった複数の熟成酒を独自にブレンドしたオリジナルの一滴なのです。
そのため、たとえば3年古酒をさらに寝かせれば10年古酒になるというわけではありません。そこには熟成する時間に加え、杜氏たちの技と設計思想が織り込まれています。
今回の見学では、それぞれ異なる時間を紡いできた3年、5年、20年の古酒を順に味わいました。
ふわりと漂う軽い香り――「3年古酒」

滋里さんのおすすめに従い、まずは“若い酒”から口にします。グラスに顔を近づけると、甘く軽やかな香りがふわりと立ち、鼻腔をくすぐります。
ひと口含むと、香ばしい風味が口いっぱいに広がった後、じんわりと甘みが後追いしてきます。
飲み口が軽やかで、まろやかなテイストは、どんな料理とペアリングしてもしっくりくるはず。初めて古酒を味わう人にも、心地よく受け入れられる優しさを与えてくれます。
ハチミツのように透き通った色合いも特別感があり、贈り物にもおすすめの逸品です。
とろりと濃厚――「5年古酒」

続いて試飲したのは、5年以上の古酒をブレンドした「5年古酒」。濃い山吹色の古酒からは、わずかにスパイスを思わせる香りが立ち、口に含めばダークチョコレートのような深みのある甘みが広がります。
味わいは芳醇でありながら、雑味がなく、後味はすっきり。紹興酒を思わせる重厚さとバランスの良さを併せ持ち、じんわりとした余韻が残ります。
中華料理や、味の濃い料理とも相性が良く、食卓に寄り添う“食中酒”としてのポテンシャルも十分。とろりとした飲み口に思わずもうひと口、と手が伸びるお酒です。
深く、濃い、そして甘い――「20年古酒」

最後にいただいたのは、20年以上熟成させた4種類のお酒がブレンドされている「熟成20年古酒」。重ねられた時の深さが、ひと目で伝わるような深い琥珀色が印象的です。
ひと口含むと、濃い見た目からは想像できないほどのまろやかな甘みに驚かされます。「これは長年熟成して甘くなったものではなく、もともと“甘いお酒”を目指して仕込まれたものなんです」と、滋里さんは語ります。
黒糖を連想させる香りと、口の中でゆっくり溶けるアルコールが心地よく、何度も口に運びたくなります。脂の多い料理と合わせても、無理なく口の中で溶け合い、豊かな余韻を生み出します。
ズラリと並んだ圧巻の古酒年表から、歴史に思いを馳せてみて

酒蔵の隣接する直売所では、これらの熟成古酒や飲み比べセット、純米酒などを手に取りながら購入できます。
熟成期間があるにも関わらず、白木恒助商店の古酒はどれも手に取りやすい価格のお酒ばかり。
50mlや180mlと小瓶サイズでも販売されているため、初めて古酒に触れる方も安心して来店できます。
また、壁面に飾られた古酒の年表は、まさに白木恒助商店ならではの軌跡を表しています。古酒の研究をスタートさせてから、現在に至るまで時間をかけて仕込まれた古酒がずらりと並ぶ姿は、まさに圧巻。
単なる陳列ではなく、白木恒助商店が紡いできた時間の証として、受け止めてみてはいかがでしょうか。

直売所は、日曜日を除き毎日9時半から16時半まで、予約なしで来店できます。入り口では、大きな達磨が静かに、どこか親しげに来店者を出迎えてくれますよ。
「達磨正宗」と醸造文化をより身近に
酒蔵内には、熟成古酒という日本酒のかたちをより身近に感じられる創意工夫が散りばめられています。

仕込みタンクにその年の出来事やエンタメ情報が書かれていたり、店内に滋里さんや善次さんのプロフィールがPOPとして飾られていたり、お酒に合う料理が記してあったりと、さまざまな角度から熟成古酒という伝統に触れることができるでしょう。
なかでも印象的なのは、酒蔵見学を通じて、達磨正宗をはじめとした熟成古酒が完成するまでの苦労や研究、そして発酵の軌跡を深く理解できること。

古酒づくりの思いの強さと、絶えず働く微生物由来の発酵の力。それらが重なり合い、白木恒助商店の熟成古酒という世界が築かれてきたことが感じ取れるでしょう。
白木恒助商店へのアクセスは、JR岐阜駅からバスで50分ほど。「茂地(もち)」のバス停で下車し、田んぼ道を10分ほど歩くと到着します。
市街地から少し離れた原風景の中、岐阜の風に揺られながら、酒蔵を訪れる岐阜の旅はいかがでしょうか。
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