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中野人インタビュー サブカルの聖地に魅せられて「りぼん」漫画家 田村逍遙
中野区在住の漫画家「田村逍遙」さんにインタビュー。 代表作は「先生あのね(2001年)」。連載当時の思いや現在の姿が明らかに。
こんにちは、ナカノ観光レポーターの「ちいたん」です。ちびナカノさんも一緒です。「ちびナカノさんに質問。中野といってイメージするのはなにかな?サブカルの聖地?」
野にはクリエイターがたくさん住んでいるイメージがありますよね。今回は中野区在住20年以上、少女まんが雑誌「りぼん」で四コマ漫画を連載していた漫画家の「田村逍遙(たむらしょうよう)」さんにお話を伺おうと思います。
じゃーん!何を隠そう田村逍遙とは、ナカノ観光レポーターちいたんのことなのです!ここからは自作自演のインタビューでお送りします。
田村逍遥の歴史
1994年に「摩訶不思議」(「りぼんオリジナル」1994年10月号)でデビュー、栃木県の女子高に通う高校1年生でした。中学時代の投稿作が、りぼん漫画スクールの佳作を受賞したのです。代表作は、四コマ漫画「先生あのね」。覚えていてくださっている方がいたら、全員ハグしたいです。
中野区との出会い
1995年4月号から「ちびまる子ちゃん」でおなじみの「りぼん」で連載し、その後埼玉県の大学(文学部)に進学。「大学時代は漫画を描くことと演劇しかしてこなかったですね。就職氷河期ど真ん中で、教員免許を取ったものの就職できなくて。漫画だけで食べていくのは難しかったので、中野区内の専門学校に進学した妹とルームシェアをして、中野に住むようになりました。ここなら、まちに刺激を受けながら本格的に自分の漫画を描いていけるような気がしました。7年の掲載を経て2001年に単行本を1冊出すことができました。最近はプレミアがつき、とあるフリマアプリで80倍の値段で取引されていたみたいです」
消えた漫画家 田村逍遥
中野の居酒屋でアルバイトし、意気投合した青年の家に居候するようになり、そのまま結婚。連載と並行して、漫画のアシスタントにも精を出します。「ジャンルや年代問わずいろいろやりましたが、第8回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞した、もりもと崇先生には特にお世話になりました。子どもが生まれてからも子ども同伴でアシスタントに呼んでいただきました」
子育てとの両立は二人目を出産した頃から難しくなり、雑誌の担当者が変わったことがきっかけで連載打ち切りに。中野区立ひがしなかの幼稚園に預けながら、3人の子を育てました。ちなみに園歌は、「ぐりとぐら」作者の中川李枝子先生の作詞なんですよ。
「ひがしなかの幼稚園で自主性と創造性を育む『自由保育』の大切さを知りました。中野には素敵な子育て施設がたくさんあります。これからも『子育て先進区』を目標に、さまざまな家庭やお子さんにあった環境が整うことを望んでいます」
3人の子育てはなかなかきつかったですが、出会いに恵まれたことが支えに。「頼りにしていた『U18プラザ(児童館)』がなくなってしまった時は本当に残念でしたが、中野区外に引っ越す気にはなれなかったんですよね。中野はアクセスが良いだけでなく、人があたたかいです。子どもたちは地域に育ててもらいました」
ナカノ観光レポーターを経験してみて
そんな3人の子どもたちも手が離れ、2023年から「ナカノ観光レポーター」として活動することに。「中野区らしい面白い取り組みだと思います。どこへ取材に行っても皆さんが優しくいろいろ教えてくれるので、私の無知がかえって武器になっているような気がしました。ちょっと変わり者の私でも受け入れてくれる度量が中野のまちにはあります」これまでに14本の記事を書いたので、ぜひ読んでみてください。
田村逍遥ことちいたんのこれから
「ナカノ観光レポーターの活動で、制作物を読んでもらえることの喜びがよみがえり、また漫画を描きたいと思えるようになりました。時代はデジタル作画に移行していますが、私は引き続きアナログで描いていけたらなと思っています。インクのにおいやトーン貼りが大好きなんです。最近、子どもが漫画を描きはじめるようになり、競うようにして描いています。いつか漫画教室を開いて身近なところから恩送りしていきたいですね」
中野ファンが増えるように、ナカノ観光レポーターとしても中野区公式観光サイト「まるっと中野」を通じてもっと中野の魅力を発信していきます。これからもよろしくね、ちびナカノさん。え?オチがないって?
中野区は、東京都23区の西部に位置しています。サブカルチャーの「聖地」と呼ばれる「中野ブロードウェイ」が特に有名ですが、それ以外にも歴史ある神社・仏閣やグルメなど、多くの観光資源を有しています。 中野駅周辺で「100年に1度」とも言われる再開発が進み、まちの移り変わりが進む一方、昔ながらの人情味あふれる商店街が賑わっているなど、中野のまちは多様な面を持っています。そんなまちの多様性が、約1.7万人、約120カ国の人が住むというまちの特徴にもつながっています。