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【手仕事のまち越前市】刃物の産地を変えた「共同工房」誕生の物語
越前打刃物の産地を大きく変えた共同工房 「タケフナイフビレッジ」が生まれるまで
誕生について
北陸自動車道・武生ICから車で約10分ほど走ると、円筒状のユニークな建物が現れる。
全国で数ある刃物産地でも珍しい共同工房「タケフナイフビレッジ」だ。
越前打刃物のものづくりは分業制が一般的だが、ここでは13の工房の職人たちが一つ屋根の下で作業を行っている。
カンカンと力強く鳴り響く鋼を鍛錬する音、水しぶきをあげながら刃物を研ぐ職人たちの息遣い……間近で見るとその様子は迫力があり、ものづくりの緊張感が伝わってくる。
今や世界的に評価が高まり注目が集まる越前打刃物。そのきっかけとなるのが「タケフナイフビレッジ」の誕生だった。
若い職人たち
産地の未来を模索する若い職人たち
約700年の歴史を持つ越前打刃物は、打刃物業界では初となる「伝統的工芸品」の指定を受けた福井を代表する伝統産業の一つである。
昭和の初め頃までは安定的な生産を続けていたが、高度経済成長とともに機械化が進み、一本一本手打ちでつくられる越前打刃物の需要は激減。ステンレスの普及や大量生産でつくられる海外製の安価な型抜き刃物の台頭から、産地を取り巻く環境は厳しくなっていた。
「越前市内にはもともと刃物工房がいくつも点在していました。家族経営で細々と経営していたところがほとんどで、当時60ほどあった工房の多くが廃業に追い込まれたんです」と語るのは、北岡刃物製作所の北岡英雄さん。
▲北岡さんは現在、タケフナイフビレッジ協同組合の理事長を務める
北岡さんは当時20代。北岡さんだけでなく産地を担う同世代の職人たちも産地の今後に危機感を持っていた。
商品の売れ行きの低迷だけではなく、職人の高齢化、後継者不足、近隣との騒音トラブルなど、課題が山積していたのだ。
そこで1973年、若手職人たちを中心に「武生刃物工業研究会」を結成。毎晩、仕事を終えた後に集まっては、産地の将来について語り合う日々が続いた。
「越前打刃物といっても、出刃包丁や菜切り包丁の専門、鎌の専門、鉈の専門、研ぎをやっている職人などさまざま。職種が違うと顔を合わせることはほとんどありません。これまで接点のなかった職人たちと横のつながりができた場でもありました」
デザイナーとの出会い
産地の運命を変えるデザイナー・川崎和男氏との出会い
そんな時、北岡さんたちに転機が訪れる。越前市にある工業試験場からの紹介で、福井県出身のデザイナー・川崎和男氏と出会い、職人たちの新商品開発に加わることになったのだ。
▲川崎氏(右下)と職人たち
『ぼくは包丁を見て、これは東京にはないって思った。東京で売られているのは、たかだか文化包丁と呼ばれている安物しかない。本物じゃない。彼らは本物の思想を持っているのに、それが東京のマーケットに受け入れられていない。ならば自分のデザインでやってみようと思いました』
と川崎さんは当時のことを著書『ドリームデザイナー』(KTC中央出版)のなかでも語っている。
ARTUS PROFESSIONAL
前途多難な商品開発の末に生まれた統一ブランド
新商品の統一ブランド名を「タケフナイフビレッジ」と命名し、川崎氏とともにスタートした商品開発。
しかし、完成に至るまでは決して平坦な道のりではなかった。
「川崎氏が描いた新商品のデザイン画は、見たことのない斬新なものばかりでした。正直、こんな刃物、どうやったらつくれるんだろうと思いましたね」と北岡さんは当時について語る。
北岡さんをはじめ、職人たちはこれまで代々続くものづくりを行ってきた人ばかり。「デザイナー」というカタカナ職業やデザイン思考そのものに拒否反応を示した職人も少なくはなかったという。
仕事を終え、夜になると皆で集まり、話し合いや議論が白熱。川崎氏のデザイン画をもとに試作品をつくる日々は約1年に及んだ。
こうして1983年、ついに新商品17点が完成。
▲川崎氏のデザインによって生まれたTAKEFU KNIFE「ARTUS PROFESSIONAL」シリーズ
これらを提げて、東京六本木のAXISビルにて開催した「タケフナイフビレッジ展」では、これまでの越前打刃物にはない刃部からグリップまで一体化した独特なデザインや、重量バランスや刃先カーブなど繊細な職人たちの技術が大きな話題となった。
「当時の私たちは、問屋さんからの注文を受け納品する繰り返し。職人の名前が表に出ることなどありませんでした。この商品ができたことによって、職人たちそれぞれが『自分たちがつくったんだ!』と誇りを持つきっかけにもなったんです」
▲「値段や納期だけではなく、我々の技術がしっかりと認められたことが嬉しかったですね」と北岡さん
さらに、1986年にはアメリカ・ニューヨークでも展示会を開催し、大成功をおさめる。以降、世界的な展示会としても有名なドイツ・アンビエンテにも出展を続けるなど、越前打刃物は名実ともに世界に羽ばたいたのだ。
共同工房を設立
より強い産地を目指し、念願の共同工房を設立
「タケフナイフビレッジ」ブランドは大きな話題となったが、課題はすべて解決したわけではなかった。今後、統一ブランドとして商品を展開していくためには市内に点在する小さな工房のままでは生産量が見込めない。そのため、新たな拠点づくりが必要だったのだ。
そこで、複数の工房が一つ屋根の下でものづくりを行う“共同工房”の構想が生まれる。
設計は建築士・毛綱毅曠(もづな きこう)氏に依頼。総工費3億円をかけ新たな活動拠点「タケフナイフビレッジ」が1993年5月に完成した。
「補助金などもないなか、まさに一世一代の大勝負でした。10社の創立メンバーたちが1人3000万円の借金を背負い、自分たちがこれまでやってきた工房を閉めて、タケフナイフビレッジにすべてを賭けてくれたんです」
大きなメリット
共同工房がもたらした大きなメリットとは
全国的にも例がない共同工房、戸惑う部分はなかったのだろうか。
「職人の仕事は本来、外部には見せたくないもの。はじめは当然、葛藤がありました。しかし、ほかの職人のやり方を見て学ぶことも多く、産地全体の技術の底上げにつながっているのは大きなメリットです」
タケフナイフビレッジでは、工房の垣根を超えて若い職人同士のコミュニケーションも活発だ。近年では全国各地から越前打刃物の職人を志し移住する人も増えており、インターンシップを経て就職する人も年々増えている。
2020年8月には敷地内に新たな工房が誕生。
三角形のかたちをした斬新なデザインの建物では、越前打刃物を販売するショップや、川崎和男氏がデザインした包丁を展示した大型のオブジェなどを設けており、新たな観光拠点としても注目を集めている。
▲新工房横の多目的広場は若手職人たちが独立した時のための工房用地を兼ねている
▲新館では川崎氏と取り組んだ商品も展示
職人たちの伝統的な技術と、「インダストリアルデザイン」との出会いが大きな分岐点となった越前打刃物。一つずつ魂を込めて生み出された刃物の数々は、今後もここタケフナイフビレッジから世界中の人々を魅了し続けていくことだろう。
▼タケフナイフビレッジ
越前叡智(えちぜんえいち) ~Proposing a new tourism, a journey of wisdom.~ 1500年も脈々と先人たちの技と心を受け継ぐまち。 いにしえの王が治めた「越の国」の入口、越前。 かつて日本海の向こうから最先端の技術と文化が真っ先に流入し、日本の奥深いものづくりの起源となった、叡智の集積地。 土地の自然と共生する伝統的な産業やここでくらす人々の中に、人類が次の1000年へ携えていきたい普遍の知恵が息づいています。 いまこの地で、国境や時空を越えて交流することで生まれる未来があります。 光を見つける新しい探究の旅。 ようこそ、越前へ。