【日本遺産】織田信長が天下統一を志した地「岐阜」で、戦国時代のおもてなしと五感を満たす饗宴を体験!
岐阜は、古くから交通と軍事の要所として栄え、戦国の名将・織田信長が天下統一を志した拠点でもあります。信長はこの地の豊かな自然と地理的な優位性を活かし、独自の「おもてなし」で賓客を迎え、戦略的に人脈を広げました。 そのもてなしの精神は戦国時代から現代まで脈々と受け継がれ、今もなお岐阜の文化として息づいています。現在では「信長公のおもてなし」として日本遺産にも認定され、岐阜観光に欠かせない魅力の一つとなっています。
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目次
- 賓客をもてなすことに熱心だった織田信長と岐阜の深い関わりとは?
- 金華山と岐阜城の壮大なパノラマ! 織田信長が見た天下の景色を体感
- 岐阜市の歴史地区・川原町で、伝統菓子「鮎菓子」を味わう!
- 岐阜提灯の魅力を体験! 癒しの光を手土産に
- 揺らめくかがり火の中、長良川の鵜飼と船遊び文化を体験
- 絶景温泉で旅の疲れを癒し、織田信長のおもてなしに倣ったグルメを堪能
- 岐阜から始まる冒険の旅! 海女や忍者など、他の日本遺産も巡ろう
日本遺産。それは、地域に息づく歴史や文化をひとつの「ストーリー」として楽しむ旅の形です。美しい景色や美食も旅の醍醐味ですが、その土地に秘められた物語を紐解くことで、神社仏閣やお城、祭りへの理解が深まり、旅はより一層味わい深いものになるでしょう。
現在、日本全国に広がる104のストーリー。今回はその中から、「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜」の世界へご案内します。
賓客をもてなすことに熱心だった織田信長と岐阜の深い関わりとは?
革新的な武将・織田信長

織田信長は、戦国時代に天下統一を志した武将です。彼は革新的な戦術と合理的な思考で旧来の秩序を打ち破り、日本の歴史に大きな影響を与えました。冷酷で知謀に長けた人物として語られることが多い信長ですが、実は自然や文化を巧みに利用し、賓客をもてなすことに熱心な武将でもありました。
なぜ織田信長は岐阜を拠点に選んだのか?

もともと尾張地方※を拠点としていた信長は、小牧山城から稲葉山城※に居城を移し、城の名を稲葉山城から岐阜城に、地名を井ノ口から岐阜へと改めました。この拠点変更の背景には、政治・経済など多角的な戦略がありました。
※尾張:目前愛知縣西部,是東海道上的重要區域。
※小牧山城:現在の愛知県小牧市にあり、織田信長が美濃攻略の足がかりとして初めて自ら築いた城。
※稲葉山城:現在の岐阜県岐阜市にあり、のちに「岐阜城」となった城。

地理的に、岐阜城は濃尾平野※の交通の要衝に位置し、東海道などの主要な道を掌握でき、外部への勢力拡大に有利でした。軍事上は、美濃を攻略することで敵対勢力を弱体化させ、織田家の東海地方における主導的地位を固めることができました。
政治面では、地名を岐阜と改め、天下統一の志を掲げることで、戦国大名間での名声を高めました。さらに、経済面では、肥沃な濃尾平野と商業ルートを掌握することで農産物や物資の集散をコントロールし、長期的な作戦と政権運営のための安定した後方支援を確保しました。
※濃尾平野:「美濃」と「尾張」を合わせた呼び方で、現在の岐阜県南西部と愛知県北西部に広がる平野を指します。

では、なぜ地名を岐阜と改めたのでしょうか。実はこの「岐阜」という二文字は、中国の古典に由来しています。 信長は、徳をもって政治を行った古代中国の聖王(周の文王)の理想の姿に自らを重ね合わせました。 そしてこの地名に、「自分こそが、この乱れた世の秩序を回復し、天下を治めるのだ」という天下統一の思いを込め、自らの行動の正当性を高めようとしたのです。
経済力と軍事力を強固に! 賓客のおもてなしで影響力を拡大

信長は天下統一の拠点を岐阜に移した後、城下町で税を免除する「楽市楽座」を積極的に推し進め、誰もが自由に商売できるよう奨励しました。また、武士と農民の身分を明確に区分する「兵農分離」を推進し、農業生産力と、いつでも出陣できる兵力を確保しました。
そして、信長は政治や軍事面だけでなく、有力者たちを文化的なもてなしで遇したことでも知られています。金華山にそびえる岐阜城の景色や、長良川の鵜飼など、岐阜の豊かな自然や文化を活かした贅沢なもてなしによって国内外の要人を招きました。信長自ら賓客のために膳を運んだり、ご飯をよそったりするなど、非常に手厚くもてなしたという逸話も残っています。
このおもてなしの精神は、今なお岐阜の地に深く根付いており、その歴史的・文化的価値は日本遺産に認定され、現在の岐阜においても観光の見どころとなっています。
金華山と岐阜城の壮大なパノラマ! 織田信長が見た天下の景色を体感

標高329メートルの金華山山頂にそびえる岐阜城は、信長が天下統一を志した拠点。軍事施設でありながら、信長が賓客をもてなすための特別な空間でもありました。
ぎふ金華山ロープウェーで気軽に山頂へ

麓から「ぎふ金華山ロープウェー」に乗れば、山頂駅まではわずか約4分。そこから徒歩約10分で岐阜城に到着します。ハイキングがお好きな方は、難易度の異なる複数の登山道から山頂を目指すこともでき、ルートによりますが、所要時間は約30分から60分です。
岐阜城から望む絶景を堪能

現在の岐阜城は1956年に再建されたもので、鉄筋コンクリート構造、外観は三層四階建てです。

城内には戦国時代の史料や甲冑、武具などが展示されており、歴史愛好家にとっては見どころが満載です。

岐阜城の最上階からは、長良川や岐阜駅、県庁など岐阜市の市街地を360度一望できます。美しい景色に囲まれた、現地の人気の撮影スポットで、天気が良い日は遠くに連なる山々まで見渡せます。特に空気が澄んだ秋や冬の日は、最も視界が良く、とてもきれいです。

Picture courtesy of 岐阜市
昼間の景色ももちろん魅力的ですが、宝石をちりばめたような幻想的な光景が広がる夜景も見逃せません。夏休みや週末には「岐阜城パノラマ夜景」※として夜間営業を実施。天気の良い日を選び、日没前に岐阜城に登れば、夕日と夜景を両方楽しむことができるのでおすすめです。
※岐阜城パノラマ夜景の詳しい実施日程は、こちらのページをご参照ください。
岐阜市の歴史地区・川原町で、伝統菓子「鮎菓子」を味わう!
川原町のまちなみ【国重要文化的景観】

岐阜城の城下にある川原町は、長良川沿いに発展した川湊です。信長が実施した楽市楽座の恩恵を受け、多くの商人が集まり、江戸時代以降も繁栄しました。

川原町には今なお、格子窓の商家・町屋や土蔵が残っており、国の重要文化的景観に選定されています。この通りを歩けば、当時の商業文化を感じられるだけでなく、かつての船運の渡し場の面影も見ることができます。

近年、多くの古い町屋や蔵がカフェや文化体験のできる店に改装され、川原町はノスタルジックな風情あふれる散策・撮影スポットとしても人気を集めています。
鮎菓子の元祖「玉井屋本舗」

川原町の名物といえば、川との密接な結びつきを象徴する岐阜の伝統銘菓「鮎菓子」。

1908年創業の和菓子の老舗・玉井屋本舗の「登り鮎」は、鮎菓子の元祖とされています。

細長くすっきりとした形、カステラ生地と求肥※の繊細な食感が評判です。
※求肥:もち米粉(または白玉粉)、砂糖、水飴から作られる和菓子の一種。

鮎が鵜に反撃する光景をモチーフにした焼き菓子「下剋上鮎」は、その繊繊な風味とユーモラスな見た目で、合格祈願や転職祝いの贈り物として人気の手土産となっています。

店内にはイートインスペースも設けられており、日本庭園を眺めながら、100年以上受け継がれてきた味を堪能できます。
岐阜提灯の魅力を体験! 癒しの光を手土産に
岐阜提灯の歴史

「伝統的工芸品」として指定されている岐阜提灯は、岐阜県の伝統的な提灯の一つです。その起源には諸説ありますが、一説では、宝暦年間(1751~1764年)に提灯職人の十蔵が尾張藩に提灯を上納したのが始まりとされています。
なぜ岐阜で提灯がつくられたのか?

近くにユネスコ無形文化遺産に登録されている美濃和紙の産地があり、また岐阜市の中心部に位置する金華山の麓では良質な竹が豊富に採れました。これらの集散地であった岐阜では、紙と竹を原料とする提灯の工芸が発展しました。

岐阜提灯は、極めて細いヒゴに薄い和紙を張り、その和紙に秋草や風景等を描いた繊細優美な火袋が特徴で、その柔らかな光が風情を与えます。今も昔と変わらない技法を使い、熟練した職人の手仕事で作られています。岐阜提灯は、灯りをともすための道具としてだけでなく、暮らしを彩る灯りとして親しまれています。
提灯の老舗「オゼキ」

岐阜提灯の魅力を間近で体験したいなら、老舗の「オゼキ」を訪れるのがおすすめです。創業者の尾関次七は、明治初期に提灯などの雑貨販売から事業を始めました。二代目の次七が提灯の製造販売を専業とし、海外の博覧会への参加を通じて販路を拡大し、国際的な知名度を高めました。
オゼキの提灯は、1928年に天皇の即位の礼の献上品にも選ばれ、現在まで日本の皇室や宮内庁で愛用されています。

店内では、伝統的な岐阜提灯のほか、世界的に有名な彫刻家イサム・ノグチの「AKARI」も見ることができます。「光の彫刻」として、世界各国で愛されています。

さらに、店内では鮎や信長、四季などをテーマにした絵柄の「レター提灯」やギフト用の提灯も販売しており、付属の封筒に入れてお手紙として送ったり、箱に入れてお土産や感謝の気持ちを込めた贈りものとして使用したりすることができます。
揺らめくかがり火の中、長良川の鵜飼と船遊び文化を体験
鵜飼とは?

鵜飼は、訓練された鵜を水中に潜らせて魚を捕らえさせる伝統的な漁法です。鵜匠※が手縄で鵜の喉元を調節し、大きな鮎は鵜の喉にとどまるようにしておき、船に戻ったところで鵜匠が鮎を吐き出させるという、世界でも珍しい漁法です。
※鵜匠:鵜を操って魚を捕る漁師を「鵜匠」と呼びます。
なぜ鵜飼は長良川で行われるのか?

岐阜市を貫流する長良川は、水が清らかで水量が安定しており、魚種も豊富なため、鵜が潜って魚を捕るのに適しています。そのため、古くから長良川では鵜飼が盛んに行われ、その歴史は1300年以上とも言われています。信長は、鵜飼を賓客をもてなす方法として用い、一説では、鵜を遣う漁師に「鵜匠」の名を与えたと伝えられています。
期間限定の鵜飼観覧体験

鮎の生態保護、鵜の育成管理、自然気候など様々な要因から、鵜飼の観覧体験は毎年5月11日から10月15日の期間限定で実施されます。夜の闇の中、揺らめくかがり火に照らされて、鵜匠たちが漁をする場面は幻想的です。火の光が水面に映り、鵜が水に飛び込む瞬間、鵜匠の手さばきと動き、その全ての光景が観る者の視覚と聴覚に迫ります。

鵜飼観覧のもう一つの醍醐味は、船遊びの文化にあります。観覧船に乗って漁の技術を間近で鑑賞するだけでなく、美味しいお酒や旬の鮎料理を味わいながら、幇間、芸妓、舞妓※による華やかな演舞やおもてなしを楽しむこともでき、まさに「大人の贅沢な体験」と言えるでしょう。
※ 幇間:主に宴席で冗談を言ったり芸を披露したりして場を盛り上げる芸人。
※ 芸妓:踊り、音楽、唄などの芸事を習得し、宴席で客をもてなすことを専門とする女性の芸人。
※ 舞妓:芸妓になる前の、若年の見習いの女性。
絶景温泉で旅の疲れを癒し、織田信長のおもてなしに倣ったグルメを堪能
にっぽんの温泉100選 長良川温泉

長良川沿いに湧く長良川温泉は、古風な趣のある温泉旅館が立ち並び、名湯と絶景を同時に楽しめる絶好のスポットです。この地は「にっぽんの温泉100選」にも選ばれており、旅行者は豊富な湯量を誇る温泉にゆったりと浸かりながら、流れる長良川、雄大にそびえる金華山と岐阜城の絶景を堪能できます。四季折々の風景は、朝夕の時間帯によっても違った表情を見せてくれます。 何度訪れても新しい発見があり、飽きることなく楽しめます。
絶好の景観を誇る「ぎふ長良川温泉 ホテルパーク」

岐阜城に最も近い「ぎふ長良川温泉 ホテルパーク」は、その絶好の眺望で知られています。最上階の露天風呂からは、長良川を一望でき、さらに見上げれば岐阜城を遠望することもできます。

和室、洋室、和洋室と多彩な客室タイプがあり、ご年配の方からお子様連れまで、どなたでも安心して利用できます。 川の景色が楽しめるお部屋では、窓辺から優雅に鵜飼を眺めることも可能です。


絶景を観賞できるだけでなく、地元の旬の川魚や山の幸を使った会席料理も魅力です。中でも歴史好きの方へおすすめなのが、史料を参考に現代風にアレンジした特別メニュー「信長饗応膳」です。
織田信長が賓客をもてなすために用いた美食を再現した御膳で、身のきめ細やかな鮎の塩焼き、弾力のある食感のアワビ、そしてフルーティーで蜜のような甘さの干し柿などを堪能できます。
10品を超える料理は、調理法も食感も多彩。最後まで飽きることなく、驚きの詰まったひとときを楽しめます。信長饗応膳は5名から対応可能のため、予約の際に問い合わせが必要です。
岐阜から始まる冒険の旅! 海女や忍者など、他の日本遺産も巡ろう
岐阜の旅はいかがでしたか?当時の歴史や文化をストーリーとして追体験できるのは、日本遺産ならではの楽しみ方です。
信長スタイルのおもてなしを堪能した後は、足を延ばして周辺の日本遺産を訪れてみるのもおすすめです。例えば、三重県の海女文化や、三重県伊賀・滋賀県甲賀の忍者文化などは、どれも体験してみる価値のあるコースです。

Picture courtesy of pixta
三重県の鳥羽・志摩一帯には、今なお素潜りで漁を行う海女の伝統が残っており、獲れたてのアワビはその場で食べると格別の美味しさです。長良川の鵜飼と同様に、海女漁もまた世代を超えて受け継がれる地域の文化であり、地元ではその技術の保存に積極的に取り組むと同時に、鵜飼漁とともに伝統的漁撈文化としてのユネスコ無形文化遺産への登録を目指しています。

Picture courtesy of pixta
さらに、三重県の伊賀と滋賀県の甲賀は、忍者の発祥地として人気のエリアです。 手裏剣投げや忍術体験など、実際に体を動かして「忍者」の世界を体感することができます。日本遺産に関する情報は、以下サイトをご覧ください。
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