旅の準備はじめよう

日本各地には、昔からその地に伝わる言い伝えが数多く存在しています。不思議なものからゾッとするもの、文化的なものまで、各地の伝承は様々です。今回はそんな日本各地に伝わる伝承を、11か所のスポットに厳選して紹介します。
800年前に活躍していた武士、源義経伝説の1つに数えられる場所です。岬の入り口には、約5mの高さの義経の家来だった弁慶の銅像が立っています。この岬一帯は、その地形から先住民の言葉で“破れたところ”を意味する“ペル・ケイ”と呼ばれており、その名を後の人が“べんけい”と発音したことから、義経伝説と繋がったのではと言われています。
「髪の毛が伸びる人形」というミステリーで日本では有名な「お菊人形」が安置されているお寺です。見た目は何の変哲も無い普通のお寺ですが、本当に人形の髪が伸びたかどうかは定かではありません。魂が入っているため、“写真に撮られることを嫌って”写りが悪くなると言われており、そのため写真撮影も禁止されています。
遠野伝承園は、遠野地方の農家の生活様式を再現した施設で、国指定の重要文化財です。その中に「オシラ堂」と呼ばれる建物があります。オシラ様は、主に東北地方の農家を中心に信仰されてきた神ですが、壁一面に“オシラ様”と呼ばれる神様の御神体が並べられています。その数は約1000体あり、その威圧感は見学者の体調にまで影響を与えるほどとも言われています。
鹿島様は、路傍に置かれた神の一種で、秋田県中南部の一帯で見ることができる珍しい神です。他の地域ではほとんど見られない、集落の境に置かれた疫病などの災厄を防ぐ神像です。現在3体の鹿島様があり、藁でできた胴体部分は鎧をまとったように見え、さらに大小2本の刀を帯びており武士のようです。
貝喰(かいばみ)の池は、善寶寺を守護する二体の龍神様が身を鎮めたと伝えられる神聖な池です。鯉は滝登りをすると龍に姿を変えると言われており、人の顔のような模様が浮き出た魚は龍神様の遣いであるとも言われています。約30年前に雑誌に写真が投稿されたことで話題になり、当時は一日に1万人もの観光客が訪れるほど賑わっていました。
1000年以上前に活躍した武士、平将門の終焉の地とされる場所に建つ神社です。神社の歴史書によれば、940年2月14日、平将門が合戦の最中に矢でこめかみを射抜かれて落命し、首を取られた遺骸が馬に乗せられ、辿り着いた場所とされています。実際に社が建てられたのはその死から32年後で、将門の三女である如蔵尼が、終焉地のそばにある木を用いて父の木像を彫ったとされています。
子孫繁栄の神としての性格を持つ道祖神は、性的シンボルをかたどった姿が特徴です。群馬県の榛名神社への参拝路にある落合の神は、男女が顔を近づけて抱擁し合いながら交合する姿を表した神像で、非常に独特な形状をしています。
この神社は、1182年に武士・畠山重忠の自宅の鬼門に当たる場所に、厄除けとして設けられたのが始まりです。創建当初から鬼に関わりがあり、「鬼鎮様」として地元に伝説が残されています。武運長久のご利益があり、それが叶うと金棒を奉納する伝統もあります。鬼を非常に意識した神社であることは間違いありません。
富山県の子撫川上流にある宮島峡の龍宮淵は、神聖な場所として知られています。この深い淵には龍神が棲み、人々を守ってきたという言い伝えが残されており、地元の人々に大切にされています。
静岡県遠州地方に伝わる七不思議の一つ「遠州灘の波小僧」は、自然現象にまつわる妖怪の伝承です。西に音がすれば晴れ、東に音がすれば雨、さらに東に音がすれば嵐という不思議な現象が「波小僧」という妖怪に関連しているとされています。
この巨大な石の造形物「石の宝殿」は、いつ、なぜ造られたのかが未だに解明されていません。横6m、縦7m、高さ6mもの巨大な石が謎の形状で作られており、その底部は池になっていることがさらに謎を深めています。
日本人ですら知っているようで知らない、ディープでマニアックな旅情報を紹介するWebメディア。全国各地の名所やグルメ、絶景などを地域の歴史・文化・伝承と絡めて情報発信。 https://zipangu-tourism.com/