愛媛・大洲観光:「THE OZU PASSPORT」を使って知られざる魅力を発見する旅
大洲市の木造天守や臥龍山荘の名建築は必見です。しかし大洲の城下町に欠かせない魅力として忘れてはならないのは、新たに再生された歴史的建造物で営まれるショップや酒蔵、カフェです。ライターのMikaさんが、大洲の城下町エリアのお気に入りスポットを紹介してくれました!
愛媛・大洲の魅力再発見
日本の旅行記事では「隠れた名所」という言葉をよく見かけます。一般的な観光ルートにはない、歴史的な町を表現するときによく使われますね。私自身、この言葉を何度も使うことに後ろめたさはあります。しかし大洲市は、その表現にふさわしいと心の底から思える場所です。
愛媛県の大洲市は、かつて明治 (1868~1912)・大正時代 (1912~1926)に貿易の中心地として栄えました。しかし、過疎化が進み、2016年から17年にかけて大洲の城下町の町並みが一斉に取り交わしや新築、改築が進む時期がありました。
2018年、このままでは地域のアイデンティティが失われかねないという危機感から、大洲の歴史的建造物を保存するために、市、企業、地元銀行が協力する取り組みが開始されました。まちづくりの仕組みづくりに取り組むことで、大洲市は繁栄を取り戻し、古くからの住民と観光客の双方にとって活気あるコミュニティを作り出したのです。
大洲を初めて訪れたのは2020年初頭の1人旅でした。その時、大洲の歴史的建造物から宿泊施設となったNIPPONIA HOTELに1泊しました。臥龍山荘は大洲が誇る見事な建築の傑作で、私はその魅力に惹かれました。実際、パートナーにその素晴らしい建物を見せたくて、道中を逸れてしまったほどです。
3 年ぶり3度目の大洲訪問時に、この町が活気に満ちた活力あるコミュニティーに変貌していることに驚かされます。大洲の通りは、以前訪れたときにはなかった地元の人々や観光客の活気に満ちていました。
これほどまでに大洲を変貌させたのは、古い建築物の再生と地元企業の参入の完璧な融合にありました。そのすべてが持続可能性と再生という大洲の理念に沿ったものなのです。ユニークな地域産品を紹介したり、地元産の農産物をメニューに取り入れたりすることで、これらの企業は大洲の卓越した建築物の保存に貢献し、住民、観光客と労働者双方にとって魅力的な大洲を作り上げました。
この活動の結果、大洲市は「グリーンデスティネーションズ・ストーリーアワード」の「文化・伝統保存部門」で栄誉ある受賞を果たし、大洲市を代表するテナントの1つであるNIPPONIA HOTELは、拡大する大洲の店舗を巡る目的で「THE OZU PASSPORT」を作成しました。
「THE OZU PASSPORT」とは?
NIPPONIA HOTELに泊まるなら、THE OZU PASSPORTが役に立つでしょう。THE OZU PASSPORTのおかげで、滞在中に市内のベストスポットを巡る際、非常に助かりました。
THE OZU PASSPORTに加盟している17の店舗がすべて掲載されており、どの店舗も限定セールや割引きを提供していますよ。LINEアプリで友だち登録するだけで、大洲市内の対象店舗やレストランで、驚きの割引きや特別なプレゼント、おもてなしが受けられます。
愛媛の城下町・大洲での過ごし方
インターネットの情報も利用できたのですが、前回の訪問以降に登場した地元の店舗、レストラン、バーを探索する際には、紙のTHE OZU PASSPORTを使うことにしました。
大洲のすべてを体験するには1日では足りません。魅力的な街を最大限に楽しむには、少なくとも2,3日の滞在をオススメします。
大洲の旧市街を徒歩で散策しながら印象的な場所を訪れることができました。ここからは、お気に入りの場所をいくつかご紹介します。
1. 商舗・廊 村上邸
商舗・廊 村上邸の店頭を初めて見たとき、伝統的な古民家の店構えに目がとまりました。この建物は築170年の江戸時代 (1600〜1868)の民家を利用したもので、衣料品店、カフェ、ギャラリーが1つ屋根の下にあります。
スタイリッシュな商舗・廊 村上邸のオーナーと素敵な会話をしました。彼女は何年も前からこの建物に憧れていたそうで、購入の機会が訪れたときに飛びついたといいます。ファッションとアートが大好きな彼女は、この場所を誰もが楽しめる居心地の良い空間に生まれ変わらせました。現在、商舗・廊 村上邸はカフェ、衣料品店、ワークスペースとしてだけでなく、アーティストの展覧会を開催するギャラリー回廊も併設しています。
オーナーが美しいスカーフを織っている、2Fのアトリエも拝見できました。訪れる機会があれば、中庭にある日本庭園と白壁土蔵を見渡せる座敷で、カフェのおいしいコーヒーを飲みながらひと休みするのがオススメです。
2. 臥龍醸造で日本のクラフトビールを味わう
常に新しい種類のビールを試してみたいクラフトビール愛好家の私にとって、臥龍酒造を訪れるチャンスを逃すことはできませんでした。100年以上前、このレンガ造りの倉庫は、大洲の絹貿易の最盛期に、日本全国、そして世界へと運ばれる生糸を保管するという重要な役割を担っていました。
現在、赤煉瓦倉庫は改装され、臥龍醸造 (がりゅうじょうぞう)として生まれ変わり、少量生産のビールを醸造しています。昔ながらの英国パブのようなデザインのタップルームでは、IPA、ペールエール、ベルギーエール、セゾン、そしてサンドイッチや限定ナイトメニューを提供しています。
ビールを注文し2Fにもっていくと、マジックが起こります。まるで不思議の国のアリスのような雰囲気でビールが飲めるのです。20世紀初頭の英国家具に影響を受けたスタイルで、ドライフラワーやシャンデリアがあしらわれています。訪れた際は、ぜひ上を見上げてシャンデリアを見つけてみてください!
ビールの試飲では、シルクパウダーを使った醸造所のシルクエールが、とても魅力的でした。これを見逃すわけにはいきません。その名の通り、絹のように滑らかな味わいでした。今でも、数本買って帰らなかったことを後悔しています。。
大洲は街自体がコンパクトで、車の運転を気にせず、おいしいクラフトビールを楽しむことができることです。
3. 大洲の「赤煉瓦館」でレトロな日本を懐かしむ旅に出よう
別名「おおず赤煉瓦館」とも呼ばれるこの建物は、明治時代 (1868〜1912)に大洲商業銀行として建てられたもので、外壁に西洋の赤煉瓦、屋根に和瓦 (わがわら)を使った珍しい建物です。
こちらも地元のお土産を探すのに最適なスポットで、地域の原材料を使ったユニークな家庭用品やジュエリーを専門に扱っています。たとえば、パールジュエリーは宇和島市の真珠を使用しています。それ以外ですと、和紙、砥部焼 (とべやき)、柑橘系の歯磨き粉、シルクの繭 (まゆ)のアクセサリーなどがあります。
しかし、私が1番オススメするのは、その角を曲がったところにある昭和レトロ博物館です。ポコペン横丁は、戦後 (1926年~1989年)の昭和の雰囲気を再現したコンパクトなスペースで、当時の生活を象徴するさまざまな展示物が展示されています。
レトロな日本への郷愁を掻き立てられたのは、昭和の映画ばかり見ていたせいかもしれません。しかし、当時の生活用品やレトロな音楽が展示された精巧な博物館を訪れたときの感傷に浸ってしまうのです。
4. うなぎの寝床
「うなぎの寝床」は本当に素敵な店で、紹介せずにはいられません。そもそも「うなぎの寝床」とは、京都の商家の前面が狭く、内部が深い独特の建築デザインのことです。
大洲の「うなぎの寝床」は、京都の町屋とは異なり、昭和初期に建てられた病院を改装しています。「うなぎの寝床」の本店は九州の福岡にあります。一方、大洲にある店は、愛媛と瀬戸内 (瀬戸内海周辺の県を指します)の地域産品を紹介する唯一の店であり、日用品と四国と瀬戸内の時代を超えた芸術性が融合しているのです。
120年の伝統を誇る今治タオルから、香川県の手袋、徳島の阿波藍 (あわあい)まで、日本の職人技の伝統を受け継ぎながらも、現代のスタイリッシュな個人のニーズへ合うアイテムを見つけました。
もんぺのコレクションも充実しています。アメリカの炭鉱夫のワークパンツであるデニムがファッションとして世の中に普及したように、「うなぎの寝床」では農作業着として使われていたもんぺを現代の普段着として着れるように様々なデザインのもんぺが展開しています。
旅行仲間と私は思いの外このお店に時間を費やし、予想以上に散財してしまいました。しかし、これだけスタイリッシュなアイテムがそろっているので、何点か買って帰らない訳にはいきませんでした。
大洲へのアクセス
日本でもっとも観光客が少ない四国にありながら、アクセスしやすい大洲。四国最大の都市である愛媛県松山市から電車で行く場合、約40分で大洲に到着します。
広島から松山市へ行くなら、もっとも効率的なフェリーはスーパージェットです。広島港から松山観光港ターミナルまでは70分弱。そこから徒歩かバスで高浜駅へ。高浜駅から電車で大手町駅へ。最後に松山駅まで歩けば、40分以内に目的地に到着します。
大洲旧市街の魅力を探るウォーキングツアー
大洲は知られざる魅力が詰まった場所です。今回紹介4カ所以外にも、魅力的な町にはまだまだ隠れた名所がたくさんあります。流行に敏感で地元志向のビジネスも増えてきているので、私が紹介した以上のものに出くわすかもしれません。私のオススメから、愛媛の隠れた魅力に興味をもっていただけたなら幸いです!
大洲市は四国の西側、南予と呼ばれる地域に属し、大洲盆地を中心に、北は瀬戸内海、南は四国山地に面した地域です。 市の中心には清流・肱川が流れ、その名の由来ともいわれるように肘のように湾曲した川が、まちを巡っていることで、自然・歴史文化・名産品に多くの恵みをもたらしました。 江戸の昔、大洲城の城下町として栄えたその名残が、肱川のほとりに息づいています。