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「丹波篠山の黒大豆」栽培がはじまります
兵庫県丹波篠山市において300年の歴史のある黒大豆の栽培が間もなくスタートします。丹波篠山の黒大豆栽培は令和3年に「日本農業遺産」に認定されました。先人のたゆまぬ努力により、代々受け継がれてきた黒大豆栽培を是非ご自身の目で確かめてください。
丹波篠山の黒大豆こそが黒大豆の「本家」
丹波篠山市の「黒大豆」は、非常に大粒で深みのある香味が評価され、全国から人気を集める黒大豆です。お正月のおせち料理に欠かせない黒豆として親しまれるのはもちろんのこと、成熟前に収穫する「黒枝豆」は多くのグルメマニアの間で人気となっています。
その歴史は古く、約300年以上前から栽培が開始されており、江戸時代には将軍家に献上されていました。江戸時代に出版された「料理網目調味抄(りょうりもくろくちょうみしよう)」には、「くろ豆は丹州笹山(たんしゅうささやま)名物なり」「黒豆 丹州笹山よし 押て汁 煮染」などと記載されており当時から丹波篠山の黒大豆が高く評価されていたことがうかがえます。
また、兵庫県による遺伝子解析で、日本の主要な黒大豆や黒枝豆はここ丹波篠山地域の黒大豆を品種改良して作られたものであると判明しており、丹波篠山市で生産される黒大豆こそが黒大豆の「本家」であり、「ほんまもん」です。
日本農業遺産に認定された丹波篠山の黒大豆栽培とは
「丹波篠山の黒大豆栽培」は、令和3年に農林水産省の「日本農業遺産」に認定されました。
認定のポイントとして大きく3つの点が評価されました。
1つ目が「乾田高畝(かんでんたかうね)栽培技術」です。もともと雨が少なかった丹波篠山では、水田に使用する用水が不足していたため稲作をやめて集落で「犠牲田」を設け、そこで黒大豆の栽培が始まりました。しかし多くの水田が過湿・重粘土の湿地であったため、黒大豆栽培には適しませんでした。そこで水田を高く彫り上げて畝を作り、乾燥させることで黒大豆を栽培可能な畑に生まれ変わらせました。現在でもその光景を目にすることができ畝が高く、畝間の広い畑は現在まで引き継がれています。
2つ目が優良種子生産方式です。大粒で品質の良い種子を選抜し育成していくというもので、始まりは江戸時代後期にまで遡ります。大庄屋・波部本次郎らによって優良な種子を選抜育成し丹波篠山の各地で種子を配り栽培を行いました。現在では市内各所に採取ほ場を分散設置するなど持続的な種子を生産しています。
3つ目は自然循環システムです。雨の少ない丹波篠山地域では多くのため池が築造され、希少な両生類が生息しています。また土壌改良や肥料などに用いる貴重な灰を製造・保管するための灰小屋をつくり、山の木々や落ち葉、わらなどを土と重ねて焼き、灰肥料を作っていました。自然資源が循環する持続性の高い仕組みですが現在日本ではほ場整備事業などにより失われつつあります。丹波篠山では今なお約240か所も灰小屋が残り、全国的に見ても珍しい農村風景となっています。
こうした栽培技術は現在も丹波篠山で息づいています。丹波篠山の黒大豆の苗をほかの地域で栽培しても同じような品質の黒大豆ができるわけではなく丹波篠山の自然環境と先人から受け継いできた栽培技術があってこそなりたつものです。
丹波篠山は歴史と伝統があふれる町です。 丹波篠山市の中心には篠山城跡があります。今も立派な石垣が当時のまま残っており、それを取り囲むようにして城下町の町並みが広がっています。 丹波篠山の町並みや文化は京都の影響が色濃く反映されており、実際に城下町を歩いてみると、あちこちに京都のような町並みを発見できるはずです。