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【2024陰祭】伝統的な衣装で街を練り歩く東京「神田祭」の日程・見どころは?
神田祭とは、東京都千代田区の神社、神田明神のまつりで、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本の三大祭りの1つ。見どころは、平安時代の衣装をまとった500人ほどの行列「神幸祭(しんこうさい)」です。近代的な街並みを平安装束を来た人々が歩く様子はとくに印象的。神田祭の見どころやアクセスをご紹介します。
神田祭(かんだまつり)とは
©(公財)東京観光財団
神田祭とは、東京都千代田区の神社、神田明神のまつり。京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本の三大祭りの1つとされています。
神田祭には、奇数の年に行われる「本祭(ほんまつり)」と、偶数の年に行われる「蔭祭(かげまつり)」の2つがありますが、一般に神田祭というと賑やかな本祭を指します。
別名「天下祭」とも呼ばれる神田祭。その由縁は、徳川幕府(※1)を開いた徳川家康(とくがわ いえやす)にあります。ほかの武将との戦の前には、必ず家来に神田明神で戦勝を祈らせたそう。
その後、徳川家康は見事天下統一を果たし、神田明神に感謝して立派な社殿や神輿を寄進。家康の支援により、神社で行われる祭りは現在のような盛大なものになりました。
神田祭の見どころは、平安時代の衣装をまとった500人ほどの行列「神幸祭(しんこうさい)」。神幸祭は神田明神を出発し、秋葉原の電気街や丸の内・大手町のオフィス街を通って、また神田明神へと戻ります。
近代的な街並みを平安装束(※2)を来た人々が歩く様子はとくに印象的です。また、神幸祭の翌日には、神田明神周辺の町々から神輿が出されます。
神田祭の見どころやアクセスをまとめました。
※1:江戸幕府……1603〜1867年の徳川家が治世を行った時代。江戸時代とも言われる。初代将軍・徳川家康が開き、15代目将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が明治天皇に政権を還すまで続いた。
※2:平安装束……平安時代の皇族が来ていた衣服。
神田祭の日程(2024年)
開催日:神田祭の本祭は2年に1度の為、2024年は開催されません。
※本祭は、西暦で奇数年に開催されます。
神田明神の神様を神輿に遷す鳳輦神輿遷座祭(ほうれんみこしせんざさい)や、巫女による「巫女舞」の奉納がある例大祭など、行事はさまざま。その日によって、厳かな雰囲気や賑やかな雰囲気を感じることができます。
神田祭(本祭)の見どころ
神幸祭
©(公財)東京観光財団
神幸祭は、神田明神の周辺地域を守る神々が3つの神輿「一の宮鳳輦(いちのみやほうれん)」、「二の宮神輿(にのみやみこし)」、「三の宮鳳輦(さんのみやほうれん)」に乗って、町々を祓い清めるという趣旨で行われます。平安時代の衣装の人々は、神々の付き添いです。
この神幸祭の見どころの1つに、大きな曳き物(※3)があります。神田祭の曳き物には、鬼の首や地震を起こすと信じられている巨大ナマズを模したものなどユニークなものも。
曳き物をひく人々の一団は、附け祭(つけまつり)と呼ばれています。登場する曳き物と附け祭は年によって異なります。
※3:曳き物(ひきもの)……日本の祭りでおもに男性たちが担いだり、引いたりする大きな車のようなもの。曳山(ひきやま)や屋台(やたい)、だんじりとも呼ばれる。
神輿宮入(みこしみやいり)
©(公財)東京観光財団
神幸祭の翌日には、神田神社周辺の町からおよそ100基の神輿が出され、神田明神へと向かいます。これを「神輿宮入(みこしみやいり)」と呼びます。法被(※4)を着た男性たちが神輿を担ぐ様子は、まさに日本の祭りといった活気に満ちたもの。
神輿を担ぐ男性には、日本古来の下着であるふんどしを締めている人も。男装をした芸者「手古舞(てこまい)」が優雅に神輿を先導していることもあり、こちらも見逃せません。
※4:法被(はっぴ)……主に祭りで着用する日本の伝統的な衣装。腰までの長さで、着物のように身体の前で合わせて着る。
神田祭を楽しむなら、三越前で見よう!
神幸祭では、時代衣装を身につけた人々は神田明神から、附け祭の一団は有馬(ありま)小学校からと、それぞれ別の地点から出発します。
両者が合流するのは、日本橋三越本店の前。時間は16:30ごろです。せっかく見に行くなら、行列がもっとも賑やかになるこの場所がオススメ。ただし混み合いますので、早めに到着し待つほうがよいでしょう。
日本橋三越本店
住所:東京都中央区日本橋室町1-4-1 Google Map
行き方:銀座線「三越前駅」a5出口すぐ。
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※本記事は2017年4月18日に公開した記事を2024年版にリライトしたものです。