急勾配の三角屋根が特徴的な「合掌造り家屋」のヒミツをご紹介!
雪深い冬という厳しい自然に対応するため先人たちの知恵が詰まった合掌造り家屋は、今も住民の生活を支えています。
合掌造りの建物に使われる木材の多くはケヤキです。同じ山で育った木で家を建てると強度のバランスが整い、長くもつ建物になるといわれます。五箇山では実際に建ててから150年以上、中には300年以上という合掌造りの建物が残り、今も生活を支えています。
雪深い山の斜面で育つ木には、若木の頃に雪の重みで地面に押さえつけられ、根本が曲がったまま大きく成長するものがあります。そうした木は、曲がった形をそのまま生かし、天井を支える太い梁として利用します。同じ斜面で育った木は、根もとの曲がり方もほぼ同じ。自然の力をそのまま生かした住まいの形です。
合掌造りの建物の中央には囲炉裏が切られています。かつてはここで薪を燃やし、部屋の暖房や調理に使っていました。煙はスノコ状の天井を通り抜けて、2階、3階へと昇り、茅葺の屋根から排出されます。そうして家中が燻されることで木材や茅葺の屋根に虫がつくことを防ぎ、建物全体の耐久性を高めてきました。
今では薪は使わず、炭火をおこすので煙が出ることはありません。ただ、長年にわたって燻されて、黒光りする柱や天井から煙の香りが漂い、火を大切に扱ってきた昔の暮らしを思いださせてくれます。
合掌造りの建物は一切釘を使わずに組み上げられています。柱や梁はホゾを切って組み、互いにがっちりと支え合う構造で、大きな屋根をしっかりと受け止めています。屋根の木材は藤づるやわら縄で縛って固定してあり、多少の衝撃もゆったり受け止めて逃がします。茅葺の素材とあいまって、大きさの割に軽いのもメリットのひとつです。
冬には2m近く雪が積もる年もありますが、急こう配の屋根は雪下ろしの回数が少なくて済むほか、構造的にも強い三角形の形で厳しい自然を乗り越えてきました。
囲炉裏の上の天井で長年燻された竹は「すすたけ」と呼ばれます。その燻され具合によって茶褐色や飴色になり、独特の色つやを放ちます。このよく乾燥した美しい竹を7寸5分(約22.7cm)に切りそろえた楽器が「こきりこ」です。2本の竹の先端を交互に打ち鳴らしながら4拍子を刻んでいく「こきりこ」は、民謡「こきりこ節」を代表する楽器です。
大きな茅葺屋根は16~18年の周期で葺き替えます。一度にすべてを葺き替えるのではなく、片面をおおよそ4つに分けて数年おきに順番に。一巡したころに、最初に葺き替えた場所に戻ってくる仕組みです。昔は集落総出で葺き替えを手伝っていました。今は地元の森林組合が請負い、大切な集落の風景を守っています。
朱塗りの御前と器でもてなす報恩講料理。毎年11月末~12月にかけて行われる仏教行事「報恩講」は一大行事で、野菜や山菜、五箇山豆腐など山のご馳走がふるまわれ、山間の集落では貴重だったご飯も山盛りにしてふるまわれました。招待客は、食べきれなかった料理は持ち帰り、家族で恵みに感謝していただきました。
※水田での稲作が難しい山間の集落では、かつて、お米は麓の集落から買ってくる貴重な食材でした。
私達は富山県南砺市の魅力を国内外に発信しています。 富山県南西部に位置する南砺市は、四季折々の豊かな自然に恵まれ、日本の原風景と、古き良き日本の伝統文化が今に色濃く残っている場所です。 合掌造り集落で知られる五箇山は、独自の文化を持ちながら人々が暮らす、まさに「生きた世界遺産」。田園に広がる散居村も、この地方独特の特別な風景のひとつです。中世から近世にかけて絹織物で栄えた城端や、木彫りで知られる井波には、薫り高い歴史と文化が息づき、棟方志功が暮らした福光、市場町として栄えた福野、椿の里の井口、 演劇と都市交流の利賀など、南砺の里山はいつも旅の魅力にあふれ、人々は温かい笑顔でむかえてくれます。