牛飼い71年、88歳。松阪牛の“神様”を訪ねて
今回は三重県松阪市飯南町の山あいにある、松阪牛発祥の地ともいわれる深野で牛を育て続けてきた畜産農家の話を紹介します。
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目次
- 松阪牛発祥の地、三重県松阪市飯南町深野
- 71年間松阪牛を育て続けるレジェンド
- 初めて食べた牛肉の記憶
- 松阪牛全体の約4%。希少な「特産松阪牛」
- 肉の美味しさはとにかく脂の質の良さ
- 背中を魅せるということ
松阪牛発祥の地、三重県松阪市飯南町深野

柔らかな風、鳥のさえずり、緑の香り、澄んだ空気。ここは、三重県松阪市飯南町の山あいにある、松阪牛発祥の地ともいわれる深野。

17歳から牛を育て続けてきた88歳の畜産農家、栃木治郎さんを訪ねました。
71年間松阪牛を育て続けるレジェンド
地元では「松阪牛の神様」として知られ、肥育農家の間でも伝説的な存在です。

栃木さんの後ろから顔をのぞかせる牛たち。

好奇心が強く、お客さんが来るとこうして挨拶に出てくるのは珍しくない。牛舎は清潔で、ほとんど匂いがありません。むしろ、ほんのり漂う藁の香りからは、どこか懐かしさを感じます。松阪牛発祥の地である深野は標高約250m。温和で乾燥した気候、澄んだ空気、きれいな水に恵まれ、牛を育てるのに最適な環境です。かつて牛は農耕用(役牛)として飼われており、日本で牛肉を食べるようになったのは明治時代(1868年~1912年)以降のこと。
明治中期になると、役目を終えた役牛を食肉として利用することが広まり、政府も食肉生産を後押ししました。さらに輸入穀物が飼料として使われるようになり、トラクターが普及すると、牛肉消費が増え、肥育を行う農家も増えていった歴史があります。

今回は、「特産松阪牛」の生産に71年を捧げた栃木さんに、牛と共に歩んだ人生について聞きました。
初めて食べた牛肉の記憶
話は、第二次世界大戦後の昭和24年(1949年)へ遡ります。
17歳だった栃木さんは、同じ地域に住む家畜商の田上さんのもとへ弟子入りしました。牛が大好きで、がむしゃらに働いたといいます。当時、公務員の初任給は月4,000円、米60kgが初任給より高かった時代です。
栃木さん:「昭和24年までは肉は食うたことなかったし知らんわな。田上さんとこにおいてもろて初めて肉よばれたけどさ、それまでは田舎の人らはうさぎとか鳥、猪以外はない。牛肉100%食うたことある家はほぼなかったやろな。」
――人生で初めて牛肉を食べた時のこと憶えていますか?
栃木さん:「もちろん。そりゃもう美味しいわな(笑)。仕入れ先に行った時、‟兄ちゃんようきてくれたな”って鍋で肉を炊いたのよばれて…。ありゃぁ美味しかったな…。当時はステーキや網焼きみたいなのはなかったで、すき焼きな。ホルモン屋は終戦後、駅裏で、コンロで、ええ匂いしとったな。あの匂いはいいな。」

笑顔で語る栃木さんから、そのときのおいしさが記憶に深く刻まれていることが伝わってきました。
松阪牛全体の約4%。希少な「特産松阪牛」
松阪では昔から、兵庫県・但馬で生まれ、和歌山県・紀州で育てられた、役牛として小柄だが力持ちな雌牛を導入していました。そしてその牛をもとに、上質な松阪牛を生み出す肥育技術が培われていきました。

松阪牛と認められるには、条件があります。
・黒毛和種の未経産雌牛であること
・ 松阪牛個体識別管理システム(http://matsusakaushi.info/)に登録されていること
・12か月齢までに松阪市の指定生産区域で肥育が開始されていること
・松阪で過ごす期間が生涯で最も長く、かつ最後の期間であること
栃木さんは、さらに希少な「特産松阪牛」の肥育にこだわっています。「特産松阪牛」は松阪牛全体の約4%しか存在しません。特産松阪牛の子牛は兵庫県で生まれ、月齢約8か月で松阪市の指定生産区域に入れられ、900日以上肥育されます。

栃木さんが肥育を始めた頃は、牛を市場へ連れて行くのに片道5時間半も歩かなければならず、一度に連れて行けるのは1〜2頭だけでした。道は砂利道で、蹄を傷めないように手作りの藁草履を履かせたといいます。もし売れなければ、牛と一緒にまた5時間半かけて歩いて帰りました。売れたときだけ、栃木さんは電車に乗って帰ることができました。

そんな時代の秘密のお愉しみも教えていただきました。
栃木さん:「あの頃、市場の横にはびっくりうどんっていうのがあって、大きな丼で1杯40円でしたわ。日給50円だったのにな。それを1杯食べて、今度は甘党の店寄ってぜんざい食べて、それから時代劇専門の映画館松阪劇場へ行って観て帰ってきよった。帰りは松阪駅の近くのガソリンスタンドでトラックきますやん。呼び止めて乗しとってもらってな。うち帰ってくると夕方やろ、親方は怒るわけや、何しとたんや!って。やけども親方に電車55円だったてもろて、そんな楽しみもあったん(笑)もう昔と今の生活は全然違うでな。」
昭和28年(1953年)には、勤め先がマツダの三輪車を購入。雨の日は牛に合羽を着せて移動したといいます。4年後にはトヨタの自動車に替わり、そして昭和38年(1963年)、田上さんのもとで15年働いた栃木さんは32歳で独立しました。

肉の美味しさはとにかく脂の質の良さ
栃木さんは、畜産農家の間でも“歩く百科事典”のような存在。松阪牛まつりの品評会「松阪肉牛共進会」では、最優秀賞を3度受賞しています。

▲栃木さんは過去70年分の最優秀賞受賞者の名前と、競りで付いた価格をすらすらと書き出しました。驚くべき記憶力!
当時、牛は家族の一員として家の中で暮らしていました。藁や穀物を昔ながらのかまどで炊いたものなど、調理した餌を与えていたといいます。牛は臆病で驚きやすいため、優しく声をかけ、そっと触ります。

昭和38年(1963年)から、栃木さんは日記をつけ始め、牛の様子も細かく記録してきました。

食欲を刺激するためにビールを飲ませたり、脂のサシを均一にするために焼酎を吹きかけてマッサージしたりすることも。牛は自分で身体を掻けないため、ブラッシングやシャンプーを喜びます。牛のストレスを減らす工夫も、肉質を高めるための技術のひとつです。一頭一頭を丁寧に世話することで、牛は人に懐き、名前を呼ぶと嬉しそうに反応するようになるそう。

▲牛の気持ちになって綴ったという栃木さんの作品。
名人級の肥育農家が持てる技術を尽くして牛を育て、仲買人も本当に良い牛しか受け入れない。そうした緊張感が農家の励みになり、松阪牛の品質を支えてきたと栃木さんは語ります。
栃木さん:「肉の美味しさは柔らかさではなく、脂の質の良さ。牛の体温は38℃ありますんさ、人間の体温より高い。だけども40ヶ月以上育てた牛の38℃の脂を掌に乗せると溶けてくるんですわ。雪みたいにな。これは30ヶ月じゃ溶けてこない。」
特産松阪牛の脂は融点が低く、人間の体温でほどけるように溶け始めます。きめ細かなサシとなめらかな舌触り、自然な甘みと上品な香り、そしてしっかりとした旨みが松阪牛の魅力です。

背中を魅せるということ
天気がいいので、もうすぐ3歳になる「さゆり」と散歩に出ることに。柵を開けて栃木さんが声をかけると、さゆりは嬉しそうに出てきました。

子牛の頃から一緒なので、栃木さんが呼ぶと必ず来るのだそう。

広がる棚田の道を歩きながら、栃木さんはさゆりを温かい眼差しで見つめ、さゆりは栃木さんのそばを離れません。互いの信頼が感じられます。

途中、若者たちが近づいてきて、「撫でさせてもらってもいいですか」と尋ねてきました。栃木さんは快く承諾し、おそるおそる手を伸ばす若者たち。
栃木さん:「怖い?怖いことない。それをゆうたら人間が一番怖いわ(笑)。でも人間でもな、話したらええさな。話しをせなあかん、若い子らでもな。」
人とでも、牛とでも、コミュニケーションが大切なのだ。

これほど愛情を注いで育てているのに、それでも牛は“食肉”になる。その事実を、栃木さんはどう受け止めているのだろう。
栃木さん:「そん時は見にいかんわな。肉になったらな、見られるけど。初めて牛を屠殺場に連れて行った時はな、3日間ごはん食べられんかったね。でも人間に食べてもらうためにな、この背中を、美味しいところを見せとるわけや。育てている人間に食べてもらうことが供養やな。」

牛の背中を優しく叩きながらそう語り、若者たちが帰るときには笑顔で「また遊びにきてな」と声をかけた。

栃木さんは毎朝5時に起き、神仏にお茶とご飯を供え、牛に餌をやり、近所の子どもたちを見送ります。達筆な字で日々の出来事を記録し、命への畏敬を抱きながら、牛にも仕事にも誠実に向き合い、一日一日を大切に生きてきました。それが、畜産農家として築いてきた人生です。
栃木さん:「うちは牛のおかげで今日あるわけやで。」

牛を育て続けて71年。ひとつの仕事を貫き、今もなお牛と共に人生の道を歩み続けている栃木さん。
松阪牛発祥の地で魅せられたプロ中のプロの背中。
「命を、いただきます」
【取材日】2020.6.23
【タイアップ】WEBマガジン OTONAMIE https://otonamie.jp/
※栃木さんは引退し、2021年末に最後の牛を手放した。
※記事で紹介した栃木さんの牛舎は私有地のため、一般公開はしていない。
※家畜伝染病予防法に基づき、海外から入国後1週間以内の方は家畜との接触ができない。
【三重県松阪市の詳しい観光情報はこちら】
三重県松阪市は日本のほぼ中央に位置し、世界に誇るグルメ・松阪牛、豊かな歴史文化、美しい自然を楽しめます。江戸時代、お伊勢参り(日本最高位の神社への巡礼)の最後の宿場町であった松阪は、多くの人やものが行きかう交通の要衝として栄え、多数の豪商を輩出しました。これらの商人たちが、江戸で松阪もめんなどの商いに成功し、松阪に繁栄をもたらしました。