日本の真ん中、岐阜県。その北部にある飛騨高山の夏の風物詩、「手筒花火」(てづつはなび)をご紹介します。勇壮な男たちが火薬の入った筒を手で持ち、火の粉を全身に浴びながら巨大な火柱を打ち上げます。最後は筒の底から爆音と共に火花が飛び散り、大変迫力ある花火です。日本中で、愛知県豊橋市とここ飛騨高山でしか見ることができません。
飛騨高山の手筒花火は約40年前に始まりました。はじめは規模も小さく数人から始まりましたが、手筒花火の勇壮さに惚れ込んだ人が次々と加わり、今では40人以上のメンバーと180本もの花火の規模となり、飛騨高山の夏を代表する行事となりました。
筒は大小あり、火薬を仕込むと8kgもの重さになります。点火すると火柱が8~10mもの火柱が大きく上がり、筒を抱える肩や腕に熱い火の粉が降り注ぎます。
参加者は独特の美学を持って花火に挑みます。筒を垂直に抱え、火柱がまっすぐに上がり、火の粉が傘のようなシルエットを描くのが美しいのだ、と彼らは誇らしげに語ります。
日本古来の考え方に「厄払い」(やくばらい)というものがあります。自分では制御できない意志の力で定められている悪い運命のことを「厄」(やく)と呼び、「厄」を自分から遠ざける行為のことを「厄払い」と言います。
様々な方法があるとされていますが、その一つに炎が悪い運命を浄化するという考え方があります。手筒花火は参加者だけではなく、花火を見る観覧者の厄を祓い、人々の幸せを願う行事です。
花火を始める前に、神社で祈りを捧げます。花火は美しく華々しい行事ですが、一方で火事や事故の危険性もはらんでいます。自らと仲間たち、観覧者のすべてに危険がふりかからぬよう、祈りを捧げ、神主が厄を遠ざける儀式を行います。
〒506-0858 岐阜県高山市桜町178
秋の高山祭(八幡祭)の例大祭の場所。境内には火防鎮護の神「秋葉神社」、菅原道真公をご祭神とした「天満神社」、五穀豊饒・商売繁盛・養蚕・各種産業の神「稲荷神社」、海上交通安全の「琴平神社」、武勇の神・歯の神をご祭神として「照前神社」といった末社があり、散策しながらゆっくりとお参りができます。仁徳天皇の時代、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて人民を脅かしていました。征討将軍の勅命を受けた難波根子武振熊命は、官軍を率いて飛騨に入ったといわれています(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの櫻山の神域で行ったのが創祀と伝えられています。
儀式の後、神社から花火の会場まで歌を歌いながら行列になって進みます。この歌は「木遣り唄」(きやりうた)と呼ばれ、古くから日本の各地で歌い継がれているものです。元来は、重い物を運ぶ際にお互いのタイミングを合わせる為に歌われていた労働歌でした。
古来より木造建築の多い日本では火事が多く、江戸(300年前の東京)では身のこなしの軽い大工が火消しに携わるのが習いでした。江戸の町を救う火消しの男たちは大変尊敬されており、人々は結婚式や祭礼に彼らを招き、木遣り唄を歌ってもらうことを喜びとしたのです。
飛騨高山の木遣り唄は江戸火消しの木遣り唄を基に、飛騨高山らしさを歌詞に加えて工夫したものです。この歌を歌いながら大通りを歩いて行くと、歌う者も聞くものも気持ちが高揚し、これから始まる花火への期待が高まります。
花火の前のひととき、獅子舞が奉納されます。獅子舞も同じく悪鬼を遠ざけるものです。夕闇が濃くなる中激しく舞う獅子舞は、この世のものでないような神秘的な風景です。
飛騨高山の中心を流れる宮川(みやがわ)の河川敷を舞台に行われる「飛騨高山手筒花火」。1時間もの間に180本もの手筒花火に次々と点火され、観覧する人々は熱狂します。
豪快さと裏腹に、消えゆく花火の儚さが北国の短い夏を象徴するような、飛騨高山の手筒花火。あなたもぜひ飛騨高山を訪れ、この勇猛な行事をその目でご覧になってください。
日時:2024年8月9日(金)
時間:19:30~20:30
場所:宮前橋(みやまえばし)付近
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HIDA TAKAYAMA Tourist Information
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飛騨高山観光公式サイト「飛騨高山旅ガイド」