広島のお好み焼を日本全国に広めた「初代 井畝満夫」の功績について
「初代 井畝満夫」は、お好み焼を広島のソウルフードとして定着させ、日本全国に広めたとされる「みっちゃん総本店」の創設者です。今回は、そんな初代 井畝満夫の功績について、みっちゃん総本店広報担当の藤井が紹介します。本記事では、広島のお好み焼の歴史から初代 井畝満夫の人柄まで紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
初代 井畝満夫とは
※こちらの記事は、「広島お好み焼みっちゃん総本店【公式】」のYouTubeチャンネルより抜粋した内容となっています。
初代 井畝満夫は、広島のお好み焼をソウルフードと呼ばれるまでに広めた人物であり、「みっちゃん総本店」の創設者です。
「そば入りを主流にして“そば肉玉”というメニューを広めたのは、初代 井畝満夫だと思う」そう語るのは、二代目 井畝満夫。初代 井畝満夫の愛弟子であり、初代の味と技、精神を受け継いだみっちゃん総本店のお好み焼職人のトップです。
みっちゃん総本店のはじまり
みっちゃん総本店の創業は昭和25年。新天地公園(現在のアリス・ガーデン)で屋台としてスタートしました。創業当時は「美笠屋」という名前でしたが、たくさんある屋台の中から知人たちに分かりやすくするため、昭和28年に初代自らの愛称である「みっちゃん」へと店名を変更しました。
初代 井畝満夫の影響で、当時新天地公園のお好み焼屋の多くが店名に「○○ちゃん」と付けるようになったのだそう。
初代 井畝満夫の功績
創業当時からお好み焼を提供していましたが、よりおいしいお好み焼を作るため、日々改良を重ねていました。
お好み焼の食材と作り方
例えば、より美味しくボリュームのあるお好み焼を作るため、それまで一般的に使われていたネギを、キャベツに変更したり、もやしを加えたりしました。
その他、焼きそばをお好み焼の上に乗せる作り方も初代 井畝満夫が考案したのだそう。昔は焼きそばとお好み焼を別々に作っていましたが、鉄板のスペースを作るために焼きそばをお好み焼の上に乗せてみたところ、美味しかったのだとか。その上、二人前の量を一人前の料金で提供でき、お腹もいっぱいになるということで、初代 井畝満夫がメニューとして定着させたそうです。
お好みソース
当時はお好みソースが無かったため、ウスターソースを使用していました。しかし、味が辛くお好み焼にかけると垂れてしまうため、とろみを付けたソースをソースメーカーと考案したそうです。
ヘラで食べるスタイル
現在のお好み焼店で多く見られる、皿を使わず鉄板から直接ヘラで食べるというスタイルを生み出したのも初代 井畝満夫です。当時は金属製のヘラに布を巻いて使用していましたが、この食べ方に合わせて持ち手に木の板を取り付け、お客さんがより使いやすいようにヘラの改良を行いました。
お好み焼を広めるための努力
お好み焼に関するさまざまなアイデアを出した初代 井畝満夫ですが、自分の店だけで独占せず、近隣のお店に惜しげもなく教えていたそうです。二代目井畝満夫によれば、「ソースを使っていい?」と聞かれると、 「あぁ、いいよ」と答えるような性格だったのだとか。後のインタビューでは 「こうすることが広島のお好み焼のためになると思った」と答えています。
「当時は、広島のお好み焼を広めたいという思いが強かったのではないかと思う」と二代目 井畝満夫は語ります。
昭和60年頃からは、オタフクソースが東京をはじめとするさまざまな場所で開催した店舗開業研修で講師を務め、多くの人にみっちゃん総本店の味を広めました。4~5日間オタフクソースで研修をした後に、みっちゃん総本店の店舗で修業をする人も多くいましたが、包み隠さず知っていることは全部教えていたのだとか。
初代 井畝満夫は、広島のお好み焼を全国に広めるため、努力を惜しまない人だったようです。
初代 井畝満夫が築いた「みっちゃん総本店」の味を食べに行こう!
今回の記事では、初代 井畝満夫が広島お好み焼業界に残したさまざまな功績について紹介しました。二代目井畝満夫によると、初代 井畝満夫は、仕事を離れればお父さんのように温かい人柄で、人間としても尊敬できる人だったようです。初代 井畝満夫が生み出した広島のお好み焼の味は、多くの職人によって受け継がれています。初代 井畝満夫が築いた「みっちゃん総本店」のお好み焼の味をぜひ食べにきてくださいね!
昭和二十五年創業。元祖 広島流お好み焼には、井畝満夫のこだわりがつまっています。 “みっちゃん”こと井畝満夫がこだわるのは「毎日でも食べられる、あっさりと飽きのこないお好み焼」。 昔からのスタイルを変えずに、今も元祖 広島流のお好み焼の味を守り続けています。