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「東京・なかのレトロ探訪」-再開発が進む中野駅南口周辺を散策-
再開発が進む東京、中野駅南口周辺を散策。昭和から生き残ってきた景色を探します。 食堂「伊賀」のハンバーグ定食は、ふわふわジューシー。
令和の時代に、昭和の懐かしい風景をオールドデジカメで撮影しながら散策するのが大好きな、ナカノ観光レポーターの「十六夜(いざよい)」です。100年に一度と言われる再開発が進む、東京、中野駅南口周辺。街並みがきれいに整備される中で、昭和から生き残ってきた景色を紹介していきます。
令和6年に開業した複合施設「ナカノサウステラ」。それまでこの場所にあったのが、「中野住宅」という団地です。昭和27年に入居が始まり、令和元年に解体されるまで、駅前とは思えない静けさが広がっていました。
階段室のタイルは、代わって建てられたマンション「コーシャハイム中野フロント」で、防災井戸の壁面などに使われています。
昭和の面影を探しに、「中野レンガ坂商店会」を歩きます。ヨーロッパの路地裏のようにレンガが敷かれた商店街ですが、かつては砂利とアスファルトが混在したでこぼこ道でした(2002年に「レンガ坂」と命名)。
坂の途中を左に曲がった中野マルイの裏手に、「酒房 北国」の行灯が残っています。
女将さんが長く暖簾を守ってきた中野の名店でしたが、閉店し、民芸調の落ち着いた空間を見ることはできません。
「酒房 北国」から裏路地に入ると、自家焙煎珈琲「JAM」の看板がありますが、ここも閉店しています。中野の名店の灯りが消えていくのは寂しいです。
「JAM」から南に裏路地を抜けると、桃園会館と桃園稲荷があります。お稲荷さんの隣にあるのは古い井戸。
昭和の初め頃まで中野駅南口には中野通りが通っておらず、駅舎も高円寺寄り(現在の約100メートル西側)にあったので、桃園通りが南口のメイン通路になっていました。当時は「堀之内 妙法寺(杉並区)」への抜け道として、たくさんの人々で賑わっていたようです。
桃園会館は大正時代にまちの繁栄を祈願して建てられ、現在も催事などを通して桃園地区の発展や、文化の伝承に貢献し続けています。
2024年9月15日は、中野氷川神社祭禮の「神輿(みこし)渡御」がありました。神輿に祭神を迎えて桃園地区を巡行し、悪厄退散を願います。
こちらの「東京中野町」と記された刺繍幕は、大正時代からのもの。
たくさんの担ぎ手が桃園会館に集まり、祭りのボルテージが上がります。
桃園の神輿はかなり大きく、装飾や彫り物を含めてとても美しい。重たい神輿なので担ぎ棒も長めですが、以前はさらに長かったそうです。
お囃子を先頭に、太鼓や篠笛、鉦(かね)の音のリズムに合わせて桃園地区を巡行。伝統を守り継ぐ担ぎ手の皆さんに感謝ですね。
大久保通りに面した4軒長屋に店を構える、食堂「伊賀」に向かいます。
店内に入ると、タイムマシンに乗って昭和に戻ったかのようです。
壁の手書きメニュー、いまだに現役の黒電話、年季の入ったテーブルや椅子。
店主の背中を見ながら、料理ができるのを待っている時間が何とも幸せ。
ハンバーグ定食は、ふわふわジューシーです。
今回の散策はここまで。中野駅のすぐ近くで、レトロな風景がたくさん見つかりました。それにしても、桃園、千光前、打越、囲町など、昔の地名には風情がありますね。再開発でまちが新しくなっても、ずっと後世に伝えていきたいものです。
食堂 伊賀
所在地:東京都中野区中野3丁目8-2
アクセス:JR中央線「中野駅」から徒歩7分
中野区は、東京都23区の西部に位置しています。サブカルチャーの「聖地」と呼ばれる「中野ブロードウェイ」が特に有名ですが、それ以外にも歴史ある神社・仏閣やグルメなど、多くの観光資源を有しています。 中野駅周辺で「100年に1度」とも言われる再開発が進み、まちの移り変わりが進む一方、昔ながらの人情味あふれる商店街が賑わっているなど、中野のまちは多様な面を持っています。そんなまちの多様性が、約1.7万人、約120カ国の人が住むというまちの特徴にもつながっています。