広島流お好み焼スタイルの原点!初代「井畝満夫」の発明6選
昭和25年に創業された老舗お好み焼店「みっちゃん総本店」。その創業者である初代店主井畝満夫(通称=みっちゃん)は、広島のお好み焼の生みの親と言われ、世間にお好み焼をソウルフードとして定着させた中心人物です。そんな中生まれたみっちゃんのアイデアとひらめきは、スタイルを変えず現在もなお広島流お好み焼に受け継がれています。今回は、初代井畝満夫のお好み焼にまつわる6つの発明についてご紹介します。
【発明その1】お好みソース
昭和25年頃のお好み焼には、さらさらしたウスターソースが塗られていました。しかしそれでは、ソースがお好み焼に染み込んでしまうことを懸念したみっちゃん。ある日、父親と訪れたウスターソース工場で、途中で捨てられてしまうドロっとした形状の沈殿物を発見します。「これだ!」と直感したみっちゃんは、すぐにソースの製造者へ、片栗粉でとろみをつけたソースを作るよう頼んだそう。こうして現在当たり前に使用されている、とろみがついた「お好みソース」が誕生したのです。
【発明その2】そば入りのお好み焼
今ではポピュラーな「そば入りのお好み焼」ですが、創業当初から定番だったわけではありません。屋台でお好み焼を食べていたみっちゃんが、たまたま焼きそばの上にお好み焼を乗せたのがきっかけです。お好み焼と焼きそばを組み合わせることで、その美味しさはもちろん、腹持ちの良さにも気づき「そば入りのお好み焼」のオリジナルが誕生します。そこからみっちゃんが「そば入りのお好み焼」をメニューとして最初に提供。お好み焼と焼きそばを別々に注文するよりも安価だと、人気に火がつきました。また新たな具材が加わったことで、形も二つ折りから円形へと変化したのです。
【発明その3】ヘラで食べるスタイル
屋台でお好み焼が提供されていた当時、店舗と違い水道がないため、お皿を洗いに行くには水を汲みに行かなければなりませんでした。また割り箸は高価なものだった時代。この不便さを解消したのが「ヘラ」です。ヘラを使って食べれば、お皿も割り箸も必要ないことをひらめいたみっちゃん。「ヘラで食べたらおいしい」とお客さんに提案し、珍しくも新しいスタイルは人気となり、次第に定着していったのです。
【発明その4】キャベツ・モヤシの組み合わせ
「お好み焼」を腹を満たせるおかずにできないか、と考えたみっちゃん。安く手に入るキャベツを入れてみてはどうか、と思いつきます。キャベツを入れたところ、お好み焼にボリュームも出てとても美味しかったそう。キャベツの値段が高騰した際には、具がたっぷりあるように見せる方法として、年中安いモヤシを加えました。モヤシの食感も良くキャベツとの相性は抜群。これがきっかけでキャベツとモヤシは定番の組み合わせとして浸透したのです。
【発明その5】木製柄付きのヘラ
お好み焼を作る道具として欠かせない「ヘラ」。創業当初は金属製のヘラが一般的でした。鉄板の熱で熱くなってしまうため、持ち手に布を巻き付けて作業しますが、すぐ汚れてしまうのが難点。そこで持ち手に木の板を取り付けること思いついたのです。実はこの発明は、屋台仲間である女将のためだったんだとか。木の板が取り付けられたヘラの評判が広まり、多くのお好み焼店で使われるようになりました。
【発明その6】お好み焼用の鉄板
現在お好み焼店では「周りが熱くならない鉄板」が主流ですが、これもみっちゃんが発明したものの一つ。その仕組みは、鉄板の下にあるバーナーをファンで囲み、強制的に熱気を追い出すというもの。この鉄板が完成したおかげで、職人が快適にお好み焼を焼けるようになりました。
初代井畝満夫の数々の発明を「みっちゃん総本店」で実際に体験しよう!
広島最古参のお好み焼店として、さまざまな発明をしたみっちゃんこと初代井畝満夫。現在も広島流お好み焼がたくさんの方に愛されているのは、みっちゃんの発明や努力があったからこそと言っても過言ではないでしょう。広島に訪れた際には「みっちゃん総本店」で、語り継がれている歴史とその味、スタイルを体験してみてくださいね。
昭和二十五年創業。元祖 広島流お好み焼には、井畝満夫のこだわりがつまっています。 “みっちゃん”こと井畝満夫がこだわるのは「毎日でも食べられる、あっさりと飽きのこないお好み焼」。 昔からのスタイルを変えずに、今も元祖 広島流のお好み焼の味を守り続けています。