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【長崎】平和公園から大浦天主堂まで。路面電車でたどる歴史スポット7選
世界新三大夜景のひとつとして知られる長崎市。江戸時代、鎖国下の日本で海外貿易が行われた唯一の場所として栄え、第二次世界大戦では原爆投下の被害を受けました。激動の歴史を伝えるスポットを路面電車でめぐりましょう。
路面電車で長崎の歴史スポット巡り
坂道の多い長崎市内では、自転車に乗る人をあまり見かけません。道路は狭く入り組んでおり、慣れない人にとっては車での移動も大変です。
しかし、心配はご無用。市内の移動は路面電車がオススメですよ!
長崎の路面電車の運賃は1回130円です。支払いは現金のほかSuica やPasmoなどの交通系ICカードも利用できます。
1日に3回以上乗る場合は、500円の一日乗車券が便利。一日乗車券の販売場所は、公式HPで確認しましょう。JR長崎駅のみどりの窓口でも販売しています。
一日乗車券は利用日を自由に選択できるので、当日の早朝に購入しても事前に購入しても大丈夫ですよ。
路面電車は1、3系統路線が約5分に1本、4、5系統路線は10~20分程度に1本運行しています。
本記事では、路面電車の停留所周辺にある観光スポットを紹介します。
1.平和公園
JR長崎駅から1系統に乗り停留所「平和公園」へ。ここから平和公園や長崎原爆資料館、浦上天主堂など、原爆関連のスポットに行くことができます。
平和公園ーー平和な世界への祈り
1945年8月9日の午前11時2分。米国が投下した原子爆弾が、長崎の浦上地区で炸裂しました。人類史上2度めで、かつ実戦で使用されたものとしては今のところ最後の核兵器です。
平和公園には爆心地を示す碑が建てられています。
長崎に投下された原爆の威力は広島の1.5倍だったといいます。爆心地から500メートルほど離れた浦上(うらかみ)天主堂は、原爆により一瞬にして崩壊し、外壁の一部が残りました。
外壁は公園内に移設され、原爆のすさまじさを今に伝えています。
公園内には爆発当時の地層が展示されています。地層には熱で溶けたガラスや、家の瓦、レンガなどが埋まり、原爆被害の悲惨さを示しています。
原爆の被害や生存者の証言を知りたい方は、公園近くの長崎原爆資料館にも足を運んでみましょう。
園内には、巨大な平和祈念像があります。天に掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表しており、厳かな表情で犠牲者に祈りを捧げています。
浦上天主堂ーー原爆被害を伝える教会
原爆により破壊された浦上天主堂は、その後1959年に再建されました。
戦後、焼け跡から焼けただれたマリア像の頭部が発見されました。現在マリア像は浦上天主堂の一角に安置され、世界平和を祈り続けています。
周辺にはかつての鐘楼(しょうろう)の跡など、原爆被害が生々しく伝わる遺構が多く残っています。
2.浦上駅前
浦上天主堂とともに原爆被害を今に伝えるスポットが、長崎原爆資料館や浦上天主堂から徒歩20分ほどの山王神社です。
路面電車で行くときの最寄りの停留所は「浦上駅前」。停留所「平和公園」からは「1系統」「3系統」で行くことができます。
山王神社ーー原爆を耐えた鳥居と大クス
爆心地から900メートルほど離れた山王神社も、原爆によって大きな被害を受けた場所です。社殿は跡形もなく崩れ、鳥居の片方の柱だけが残りました。
一本柱鳥居と呼ばれるこの鳥居は、原爆を耐えた生き証人として地元の人に親しまれています。
境内にそびえる大きなクスの木も原爆で幹を焼かれ、一時は枯れ木同然となったのだそう。しかしその後、新たな芽を出し、今では写真のように立派に再生しました。
大クスは、長崎出身のシンガーソングライターで俳優の福山雅治の楽曲「クスノキ」のテーマとなったことでも有名です。そのたくましい生命力は、長年にわたり長崎の人々を勇気づけています。
3.八千代町
山王神社から徒歩約30分のところには、長崎のキリスト教徒の歴史を伝える日本二十六聖人記念館があります。
最寄り停留所は「八千代町」。「1系統」「3系統」の路線で行けます。
日本二十六聖人記念館ーー禁教令下の悲劇
16世紀末、時の権力者であった豊臣秀吉はキリスト教を禁止する禁教令を出すとともに、布教を続けていた宣教師や信徒たち26人を処刑しました。この26人は、日本最初のキリスト教の殉教者です。
26人は1862年、ローマ教皇ピオ9世によって聖人に列せられました。列聖100年を迎えた1962年には、処刑地に記念館が建てられました。
日本二十六聖人記念館の中では日本のキリスト教の歴史のほか、26人の聖人たちの生涯や、殉教者となったり潜伏キリシタンとして信仰を続けたりした信徒たちの歴史を紹介しています。
記念館の外の広場の柵は、長崎市内にある日本でもっとも古いキリスト教建築物・大浦天主堂の方位だけ白く塗られています。国宝・大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」。26聖人に捧げられた教会なのです。
4.出島
江戸時代に日本と西洋をつないだ出島は、停留所「出島」が最寄りです。「1系統」でしか行けないので、気をつけましょう。
出島ーー鎖国下の唯一の窓口
出島はかつて、長崎湾に面した扇形の人工島でした。
江戸時代、日本は外国に門戸を閉ざす「鎖国政策」を取っていましたが、出島にはポルトガルやオランダの商館員が駐在し、日本と貿易を行なっていました。出島は鎖国下の日本で唯一、ヨーロッパに開かれていた窓口だったのです。
江戸時代の末期、鎖国廃止により商館は閉鎖され、1904年には長崎港の改良にともなって周辺の海が埋め立てられました。こうして、出島の「島」としての姿は消えました。
島としての形だけでなく、その後、島内にあった建物や庭園なども失われましたが、第二次世界大戦後に長崎市がかつての建物の復元に着手しました。
現在は1820年代、1860年代、明治時代の3つの時代の建物が復元されており、中を歩けば、長崎の豊かな歴史に触れることができるでしょう。
5.眼鏡橋
長崎市では17世紀、日本初となるアーチ形石橋・眼鏡橋が造られました。
出島からは「新地中華街」停留所に向かい「5系統」に乗車、「眼鏡橋」停留所で下車しましょう。
卓袱料理ーー食卓に広がる中国と西洋文化
鎖国下の長崎ではポルトガル、オランダのほか中国との交易も行われていました。眼鏡橋周辺にはかつて中国人の居住地区・唐人屋敷があり、いまでも仏寺・興福寺をはじめ中国風の建物が残ってます。
ここでぜひ味わいたいのが、中国やヨーロッパの影響を受けた「卓袱(しっぽく)料理」。眼鏡橋周辺に数軒ある卓袱料理の店に行ってみましょう。
卓袱料理とは、大皿に食べ物を盛って円形テーブルの上に乗せ、皆で取り分けて食べる料理のこと。献立は純日本風というわけではなく、中華風やヨーロッパ風のものも含まれているのが特徴です。
もともと唐人屋敷の中国人たちから伝えられたとされ、その後、西洋も含めさまざまな文化の影響を受ける中で、長崎独自の食のスタイルとなっていったのだそう。
写真は市内の有名料亭「一力(いちりき)」のもの。ディナーだけでなく、ランチで卓袱料理を楽しめる店もあります。事前予約が必要な場合が多いので、予約を忘れずに。
6.大浦天主堂
眼鏡橋から「5系統」路線に乗り「大浦天主堂」停留所へ。周辺にはグラバー園、大浦天主堂などのスポットがあります。辺りは店も多く賑やかです。
グラバー園ーー日本最古の木造洋館
「長崎代表景點 世界遺產哥拉巴園」より
鎖国廃止後の1859年、長崎と横浜、函館の3港が外国に向けて開かれました。この頃、スコットランドからやってきたのがトーマス・グラバー。
長崎港のそばの小高い丘に洋館を建てて住み、炭鉱や造船所の開発を通して日本の近代化に貢献しました。
1863年に建てられた旧グラバー住宅は、現存する日本最古の木造洋館建築です。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の構成資産のひとつとして、世界文化遺産にも登録されています。
グラバー園には旧グラバー住宅のほか明治時代の洋館が複数保存され、当時の様子を今に伝えています。四季折々の花も楽しめますよ。
7月中旬から10月初旬には夜間ライトアップが行われ、ロマンティックな雰囲気に浸れます。園内から望む市内の夜景も見どころです。
グラバー園周辺のおすすめホテル
大浦天主堂ーー奇跡「信徒発見」の地
大浦天主堂は、前述の26聖人の処刑地に面した丘の上にあります。1865年、開港後に長崎にやってきたフランス人のための教会として建てられました。
ところが教会完成から1カ月後、十数名の日本人の潜伏キリシタンが天主堂を訪れ、フランス人神父に「私たちもあなたと同じ信仰がある」と告白。
この「信徒発見」と呼ばれる歴史的出来事によって、250年もの長い間、日本でキリスト教の信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンの存在が明らかになったのです。
信徒発見は世界宗教史上の奇跡と呼ばれています。
大浦天主堂は、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとなっています。
7.稲佐山ーー世界新三大夜景のひとつ
長崎では華やかな夜景も必見。なかでも稲佐山は、2012年、香港・モナコと並び世界新三大夜景に選ばれた景勝地です。展望台のある山頂へは淵神社(ふちじんじゃ)駅からロープウェイで上がります。
淵神社駅への行き方はふたつ。路面電車で「宝町(たからまち)」停留所で下車し15分ほど歩くか、事前予約制の無料シャトルバスで長崎駅から向かうかの、どちらかを選びましょう。
猫と人間が共存する街
長崎市内を歩いていると、よく猫の姿を目にします。車が入りにくい狭い路地が多く、交通事故に遭う可能性が低いことや、温暖な気候のために増えたという説があります。
長崎の猫の多くはしっぽが曲がっている「尾曲がり」で、ルーツはインドネシア。
出島で貿易が行われていた時代、オランダの貿易船は船内のネズミを駆除するため、経由地のインドネシアで尾曲がり猫を乗せて長崎にやってきました。
その猫が長崎に上陸し繁殖したため、いまでも長崎には尾曲がりの猫が多いのだそう。
尾曲がり猫が書かれたカステラなど、眼鏡橋周辺では猫をモチーフにしたスイーツやグッズを見かけます。
かわいい猫グッズとお菓子はおみやげにもオススメですよ!
路面電車のオススメ1日観光コース
長崎駅前 — 平和公園 — 浦上駅前 — 八千代町 —出島 — 眼鏡橋 — 大浦天主堂
原爆を投下された長崎の過去に触れ、次に禁教下のキリスト教の歴史を学んでみましょう。人工島「出島」で江戸時代にタイムスリップ。最後にグラバー園で日本近代化の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
長崎の歴史を路面電車でたどる
江戸時代、世界への唯一の窓口であった長崎は、キリスト教徒の弾圧、明治時代の近代化、第二次世界大戦における原爆の投下と、激動の歴史をたどってきました。
長崎市を路面電車に乗ってまわれば、町のあちこちらで歴史を感じられるでしょう。
※本記事は2020年9月3日に公開した繁体字記事を翻訳したものです。