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【埼玉県長瀞町】新紙幣1万円札の顔・渋沢栄一と秩父鉄道。渋沢栄一ゆかりの地を巡ろう!
2024年に発行された新紙幣の1万円札の顔として選ばれた渋沢栄一。渋沢栄一と秩父鉄道は、深い関わりがあり、その痕跡が長瀞の地にあります。本記事では、渋沢栄一と秩父鉄道の関係、渋沢栄一とゆかりのある長瀞を紹介します。
2024年に発行された新紙幣の1万円札の顔として選ばれた渋沢栄一。紙幣のデザイン変更は実に20年ぶりとなりました。「近代日本経済の父」と称された彼が設立や経営に関与した企業はおよそ500以上とも言われ、秩父鉄道もその1つです。
秩父鉄道沿線には、今も渋沢栄一ゆかりの地が多く存在しています。この歴史的な機会に、ぜひ秩父鉄道沿線におでかけしてみてはいかかでしょうか?
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目次
- 「近代日本経済の父」渋沢栄一とはどんな人?
- 渋沢栄一ゆかりの地「長瀞町」
- 渋沢栄一と「秩父鉄道」との関わり
- 渋沢栄一のゆかりを辿る6つの場所
- 【2024年11月限定】渋沢栄一ゆかりの地をライトアップします!
- 秩父鉄道で渋沢栄一ゆかりの地を巡ろう
「近代日本経済の父」渋沢栄一とはどんな人?
渋沢栄一は、埼玉県深谷市出身です。「近代日本経済の父」や「日本資本主義の父」とも呼ばれる実業家です。約500もの企業の育成や約600もの社会公共事業・民間外交に尽力しました。
また、道徳と経済を両立させるべきだという考えを持ち、『論語と算盤』という著書でその思想を広めました。教育や社会福祉にも尽力し、多くの学校や慈善団体を支援しました。
2024年には、日本の新しい1万円札の肖像に選ばれ、その功績が再び注目されている人物です。
渋沢栄一ゆかりの地「長瀞町」
埼玉県長瀞町と渋沢栄一には深い歴史的繋がりがあります。渋沢栄一は日本の近代資本主義の草分けであり、明治時代から昭和時代初期にかけて経済界で活躍しました。
彼は埼玉県深谷市出身で、長瀞町の近隣で育ちました。その影響で、渋沢は自然豊かな秩父の風景や地域の人々との交流を通じて、後に財界人としてのキャリアを築く基盤を得たことでしょう。
長瀞は渋沢にとって、自然の魅力や地域の人々との絆を深めた場所であり、彼の成功に影響を与えた可能性があります。
また、渋沢は心の癒しを求めて、長瀞へ何度も訪れたともいわれています。
渋沢栄一と「秩父鉄道」との関わり
渋沢栄一と秩父鉄道のつながりは、秩父鉄道の前身会社である上武鉄道から始まりました。
秩父地方は養蚕や絹織物の産地として栄えていましたが、山に囲まれた地形により交通の便が非常に不便でした。秩父に鉄道を敷いて、そんな状況を打破したいという想いで初代社長:秩父の織物商・柿原萬蔵が上武鉄道を設立しました。しかし、秩父までの開通は苦難の連続だったようです。
まずは、熊谷を起点に寄居駅まで、続いて寄居駅〜波久礼駅間まで順調に延伸しました。その後、上武鉄道は日清戦争後の不況から経営難に陥り、波久礼から先である秩父方面への延長工事が停滞してしまいました。
そこで当時の社長が頼ったのが渋沢栄一でした。
渋沢栄一は、武甲山の石灰石など秩父地域の可能性を見出し、渋沢栄一のいた第一銀行を通じて資金援助をしてくれることになりました。その結果、1911年には親鼻橋付近まで延伸し、同年「長瀞駅」(当時は宝登山駅)が開業となりました。
渋沢は、1911年岩畳で執り行われた開通祝賀式で祝辞を述べています。この景色を渋沢栄一も眺めていたと思うと感慨深いですね。
長瀞駅の駅舎は1911年に建築されました。歴史を物語る木造建築の駅舎として「関東の駅100選」に選ばれています。
この時、渋沢栄一に支援の手を差し伸べてもらっていなかったら、秩父鉄道は長瀞まで繋がっていなかったかも知れません。
このように、渋沢栄一と秩父鉄道は、地域経済の発展や近代化の推進において密接に関わり合ってきました。彼らの歴史的な結びつきは、現在もなお秩父地方の文化や経済に深い影響を与え続けています。
渋沢栄一はたびたび長瀞を訪れていて、彼のゆかりが各所に残されています。
長瀞町にある、渋沢栄一ゆかりの地を6つ紹介します。どの場所も電車と徒歩でアクセスができますよ。
渋沢栄一のゆかりを辿る6つの場所
1. 長瀞駅と長瀞駅前の石碑
1911年の開業以降、長瀞駅はほとんど姿を変えていません。そのレトロな雰囲気に魅了され、訪れた多くの方が写真を撮ります。
また、秩父鉄道の長瀞駅前に建っている石碑に「長瀞は天下の勝地」と書かれています。これは、渋沢栄一88歳の時の書を石碑に写したものです。
長瀞が日本百景に入選したことを記念して募集した長瀞の標語を渋沢栄一に揮毫してもらい、石碑を1928年に建てました。
「すばらしい景色にはきまった持ち主などないのであるから、好きなだけ眺めて楽しめばよい。」という意味になるそうです。
石碑は、多くの企業や個人が協賛して建てられたのだそうです。渋沢栄一がいかに活躍していたかが分かります。
2. 国指定名勝・天然記念物「長瀞」の地に架かる鉄道橋「荒川橋梁」
秩父鉄道沿線にはいくつかの煉瓦構造物があります。上長瀞駅-親鼻駅間に架かる秩父鉄道で1番長い荒川橋梁もその1つです。渋沢栄一が設立に関わった日本煉瓦製造株式会社の煉瓦も使われているかもしれません。
3. 秩父三社の1つ「寳登山神社」
寳登山神社は、秩父三社の1つで、宝登山の山麓に本殿が鎮座しています。火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての御神徳が高く、地元だけでなく関東全域から年間で100万人以上の参拝者が訪れています。
渋沢栄一は、この地を「宝登山は千古の霊場」と称え、その言葉の石碑が境内に建てられています。
4. 長瀞トリックアート有隣倶楽部
長瀞トリックアート有隣倶楽部の館内に、渋沢栄一自筆の扁額が飾られています。この書には、論語の「徳不孤必有隣とくはこならずかならずとなりあり」 と書かれています。
「徳のある人には必ず賛同する人がいる。お金を儲けるにしても道理をわきまえてお金を稼ぎなさい」ということです。
有隣倶楽部という名称は、この書から命名されました。
ぜひ、実際に来館し実物を見てみましょう。
5. 長瀞温泉 花のおもてなし「長生館」
1911年に宝登山駅(現在の長瀞駅)に開業、1912年に旅館「長瀞館」(現在の長生館)が創業しました。
渋沢栄一は1913年長瀞視察の際に同館に滞在し、何度も利用した記録が残っています。
長生館は、長瀞駅から徒歩3分で、国指定名勝・天然記念物「長瀞」・岩畳を一望できる立地で、宿泊者から大変人気があります。また、同館内に渋沢自筆の扁額が飾られています。
6. 渋沢栄一翁命名の宿「養浩亭」
1922年に創業した豊かな自然に囲まれた旅館です。上長瀞駅から徒歩5分の立地です。
渋沢栄一が上長瀞の地を訪れた際、孟子の説いた「浩然の気を養う」という言葉を引用し、「養浩亭」と揮毫されたと伝わります。
【2024年11月限定】渋沢栄一ゆかりの地をライトアップします!
2024年11月の紅葉時期に、長瀞町にて新たなライトアップを実施致します!詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
秩父鉄道で渋沢栄一ゆかりの地を巡ろう
今回紹介したエリアは、秩父鉄道 長瀞駅・上長瀞駅が最寄り駅です。渋沢栄一ゆかりの地・長瀞へのおでかけは、秩父鉄道をご利用ください。
秩父鉄道は埼玉県北部を東西に横断する総延長71.7㎞の長さを誇る地方私鉄です。沿線には、秩父・長瀞・寄居・深谷・行田・羽生など観光地が点在しており、自然豊かな地域を旅することのできる路線です。田園風景や荒川沿いにある渓谷などを四季折々の風景をお楽しみいただけます。都心から1番近い蒸気機関車「SLパレオエクスプレス」や「長瀞ラインくだり」など沿線で様々な観光事業の運営も行っています。