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文楽って何?第一線の演者が語る、世界最高峰の人形劇「文楽」の魅力とは
歌舞伎、能と並び日本の伝統芸能として知られる「文楽」。300年以上続く人形劇で、まるで人間のように人形を操る高い技術や、大人向けの洗練された物語などに特徴があります。第一線で活躍する演者3人に、その奥深い魅力を聞きました。
文楽とは?
2019年3月、原宿の明治神宮前で行われた「にっぽん文楽」の公演
みなさんは、文楽をご存知ですか?
文楽とは、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている人形劇。江戸時代の18世紀前後に大阪で発展し、現在まで引き継がれている日本の伝統芸能です。
人形劇、と聞くと子ども向けの内容を想像されるかもしれませんが、文楽で上演される演目は、大人向けのものがほとんど。古い時代の英雄を描いた物語や、江戸時代当時の男女の恋愛・心中(恋人同士の自殺)など、大人が楽しめるテーマを題材としています。
歌舞伎や能とともに、日本の伝統芸能として語られる文楽。しかし、実際に文楽を観た方はそこまで多くないかもしれません。そこで今回は、文楽の第一線で活躍する3名の演者(技芸員)にインタビュー。文楽の基礎知識から楽しみ方まで、最高の案内人たちが、あなたを文楽の世界へと誘います!
文楽には、3つの役割がある
そもそも、文楽の舞台は、3パートによって成立します。人形を操る「人形遣い」、三味線(しゃみせん)という楽器を奏でる「三味線」、そして語りによって物語をリードする「太夫(たゆう)」。
……といってもイメージしづらいと思いますので、まずは次の動画を観てみてください。日本語ですが、だいたいの文楽のイメージが摑めると思います。
人形遣い、三味線、太夫。それぞれ完全なる分業で、文楽の世界に入門する人は、まずどれにするかを選びます。そして、一生そのパートで芸を磨き続けるのです。
今回は、3パートそれぞれの演者にお話を伺いました。まずご登場いただくのは、人形遣いの吉田勘彌(よしだ かんや)さん。
「人形遣いは、他者がいて初めて成り立つ芸」
人形遣い:吉田勘彌さん
吉田勘彌さんは文楽人形遣いに入門して40年以上のベテランです。勘彌さんは人形遣いの中でも主遣い(おもづかい)というパートを担当しています。
文楽の人形は、1人ではなく、3人で操ります。人形の足だけを担当する「足遣い」、左手を操る「左遣い」、そして人形の首(かしら)と右手を担当する「主遣い」です。3人の組み合わせは、舞台によって変わってきます。
どうやって3人で人形を動かすの?
初めて文楽を観る方は、人形がまるで生きている人間のように動くことに驚くでしょう。3人で1つの人形を動かして、なぜなめらかな動きができるのでしょうか? その秘密は、主遣いがほかの2人に送る、「頭(ず)」と呼ばれる合図・指示にあります。
「主遣いの仕事は、首と右手を動かすだけではありません。さまざまな形でほかの2人に、人形全体の動かし方の指示を出しています」
「こうしてください」などと言葉で伝えるのではなく、人形の首や人形全体の動き、または主遣いの体重移動など、舞台上では常に細かい「頭」が出されているといいます。
主遣いから言葉にならない頭を受け取って、左遣いと足遣いは人形を動かします。そして3人の動きが一体となったとき、リアルできめ細やかな人形の動きが生まれるのです。
「ガブ」と呼ばれる首。美しい女性の顔が一瞬にして恐ろしい顔に!
表情の変化は、親指1つで操作している
練習は本番前の1回だけ
3人の呼吸が命、ともいえる人形遣いですが、驚くべきことに、普段3人で集まって稽古(練習)することはないそう。
「普段は1人でイメージトレーニングをするだけ。3人集まって人形を持って稽古をするのは、本番前の1回だけなんですよ」
稽古がない、といっても、勘彌さんのように主遣いを担当するようになるまでには、膨大な修行の時間が必要となります。個人差はありますが、人形遣いはまず足遣いだけを約10年間、次に左遣いだけを約15年間担当し、ようやく主遣いができるようになると言います。
何度も何度も舞台に立ち、主遣いから「頭」を受け取り、その芸を吸収しながら、人形の動きを体にしみ込ませていくのです。足遣いや左遣いといった基本の部分を、年月をかけて繰り返し舞台で行なっているため、毎日3人集まって稽古する必要はないのです。
他者がいて初めて成り立つ芸
ガブを手にする勘彌さん
勘彌さん自身も主遣いを担当するまで30年ほどかかったそうです。かつては師匠に付いて、足遣いを担当していた頃もありました。
「私の最初の師匠は、人間国宝の二代目桐竹勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)という方でした。師匠の“足”を遣うのは本当に楽しかった。もちろん基本的には主遣いの動きに従うのですが、勘十郎師匠は、ある程度『お前たち(足遣いと左遣い)に任せるよ』と自由を与えてくれたのです。3人で1人の人物を作り上げている。そんな一体感がありました。
その一体感を作るためには、3人の呼吸をぴったりと合わせる必要があります。他者がいて初めて、自分の芸が成立するのです。だからこそ、他者とどう付き合うかという、根本的なところも問われます」
初めて文楽を観るときには、その繊細でリアルな動きに心を奪われることでしょう。しかしそれは数十年にも及ぶ修行と、3人の一体となった呼吸に裏打ちされたものなのです。
「表現するのは、メロディではなく物語」
文楽三味線弾き:鶴澤友之助
文楽を観ていると、常に太い弦楽器の音が響いていることに気づきます。舞台の右手に視線を移せば、三味線という楽器を奏でている人がいます。
初めて文楽の三味線を聴くと、「物語を盛り上げる伴奏をするのかな?」と思うかもしれません。しかし、文楽における三味線は伴奏とはまったく異なるものと言われています。いったい、どういうことでしょうか?
文楽三味線弾きの鶴澤友之助(つるさわ とものすけ)さんに聞いてみました。
友之助さんは文楽の三味線弾きになって17年。文楽の世界ではまだ若手です。そして、かなり異色な経歴の持ち主。
「父はジャズピアニスト、母はバイオリニストの音楽一家で、僕自身もプロのベーシストを目指してコントラバスを勉強していました」
小さい頃から音楽を職業として捉えていた友之助さん。伝統芸能とは縁もゆかりもなかったそうですが、高校2年生の頃、聞いたことのない音を耳にします。「テレビから、すごくいい低音の音楽が流れてきたんです。なんだろうと思って見たら、文楽の三味線でした」
お芝居としての文楽ではなく、三味線の音色からこの世界に入った友之助さん。しかし今まで勉強してきた西洋音楽と文楽の三味線の表現はまったく異なるため、戸惑いがあったと言います。
わずか1音で悲しみを表す
三味線にはさまざまな種類があるが、文楽では太棹(ふとざお)三味線という、大きく重厚な音の出る三味線が使われる
「文楽に出会うまではずっと、旋律で心情を表現してきました。しかし、文楽だと、涙がこぼれ落ちる悲しさを、わずか1音で表現することもあるのです」
そんな西洋の音楽と文楽の三味線の違いに慣れるまで、10年はかかったそう。プロのベーシストを目指していた友之助さんだからこその苦しみでした。
人物の気持ちから天気まで弾き分ける
西洋の音楽とはまったく異なるように思える三味線ですが、共通するところもあると友之助さんは言います。
「演目によって、三味線の旋律は決まっています。でも、奏者によって聞こえ方がまったく違う。ベートーヴェンの“第9”が指揮者によってまったく異なって聞こえるように、三味線も、奏者の物語の解釈や表現の違いでまったく変わってくるんです」
奏者によって物語世界をより豊かにし、奥行きと幅を与えてくれる楽器、三味線。しかも、舞台に出る三味線弾きは、基本的にたった1人。その1人が、物語に登場する子ども、若い女性、武士、お年寄りなどさまざまな人物たちの心情を弾き分けます。
さらには人間だけではなく、晴れ晴れとした青空や雷鳴が鳴り響く嵐といった天気、蝶が舞う様子まで、あらゆることを三味線1つで表現します。
「きれいに旋律を弾けばいいわけではない。音色やテンポを変化させて物語の情景を描きつつ、老若男女の喜怒哀楽をどうやって表現するか、それを大事にする楽器なんです」
文楽の三味線が伴奏ではない理由が、ここにあります。
「太夫の迫力は、言葉を超えて伝わるはず」
太夫:豊竹咲寿太夫
咲寿太夫さん。後ろにあるのは、太夫が座る「床(ゆか)」という場所
最後に登場するのは、若手の中でも注目されている豊竹咲寿太夫(とよたけ さきじゅだゆう)さん。彼は、太夫(たゆう)と呼ばれる役割を担っています。
太夫は、“語り”によって物語の進行を担うパート。文楽で上演される作品には台本があり、それに従って太夫が語っていきます。しかし単なる朗読ではなく、「義太夫節(ぎだゆうぶし)」という独特な節回しによって語ります。初めて太夫の声を聴いた方は、「この声はどこから出ているんだろう?」と驚くかもしれません。
つぶれたような、しゃがれたような声。これこそが登場人物の豊かな心情を描き出し、文楽の物語に命を吹き込む声なのです。
役になりきってはいけない
「床本(ゆかほん)」と呼ばれる、文楽の台本。独特な書体で書かれている
太夫も三味線と同じく、舞台に上がるのは基本的に1人だけ。たった1人で、さまざまな年齢、境遇の人物を語り分けていきます。
「文楽にはシリアスな内容や、話の展開がダイナミックで劇的な演目が多い。それをたった1人で語り分けるので、迫力があるんです。たとえ言語がわからなくても、登場人物が歯を食いしばって泣いたり、激昂したりする様子はよくわかるし、その勢いや力は言語を超えて伝わると思います」
1人でさまざまな人物を語り分けても、「役になりきる」とは違う、と咲寿太夫さんは言います。「以前、役に感情移入しすぎて泣いてしまい、怒られた太夫がいたそうです。だからといって淡々と語ったり、単純に声色を変えて人物を表現するのとも違う」
では、どう語り分けているのでしょうか。「私たちの世界では『息で語る』という言い方をします。計算された息の使い方で人物の語り分けを行うのです」
息で語る……すぐに理解するのはなかなか難しい。しかし文楽を観ると、人形と太夫は別の場所にいるにもかかわらず、まるで人形自身が語っているような錯覚に陥ります。人形それぞれに命が吹き込まれ、感情が豊かに表れてくる、それは太夫が「息で語っている」からこそなのでしょう。
文楽は、芸の火花の散り合い
文楽の公演で一般向けに解説をする咲寿太夫さん
咲寿太夫さんは、なんと三味線や人形に触ったことすらないと言います。少しは出来た方が、ほかのパートの気持ちもわかってスムーズにできるのではとも思うのですが……。
「わからなくていいんです。逆に、わかったらダメなんです」ときっぱりと答えます。「例えば私が三味線も弾けるようになったら、三味線の音を聞いてしまって、それに語りがつられてしまう。太夫の語りと三味線がばっちり合ってしまったら、三味線が伴奏になってしまいます」
2018年3月に行われた、「にっぽん文楽」の公演。この公演では複数の太夫、三味線が出演している
舞台では人形遣い、太夫と三味線がいますが、それぞれに視線を交わしたり、呼吸を合わせたりすることは一切ありません。全員が別の方向を向き、別々のことをしている。しかし、文楽はそれで成り立っています。
「それぞれがそれぞれの芸をやって、勝手に合う。それが文楽なんです。合わせにいったらお遊戯です。それじゃダメなんです。芸の火花の散り合いなんです」
人形遣い、三味線、そして太夫。3者がそれぞれまったく異なることをしながらも、観る者の前には、心震わせる1つの物語が立ち現れる。それが文楽の不思議なところであり、面白さでもあるのです。
文楽の魅力はどこにある?
筆者の友人には、何人も文楽にはまった人がいます。皆、一度はまると東京、大阪の公演に毎回足を運ぶという熱の入れよう。なぜ、そこまで文楽は人を夢中にさせるのでしょうか?
今回登場した吉田勘彌さんに伺うと、「人形だから、ではないでしょうか」と答えました。
「例えば歌舞伎は、美しくかっこいい役者に目が向きます。しかし文楽では、目の前にいるのは人形。だから、より物語に入り込めるし、別の世界に連れていってくれるのだと思います。私は最初文楽を観たとき、江戸時代へタイムスリップをしたような感覚になりました。そして人形の可憐さ、健気さに心を揺さぶられました」
人形だからこそ、そして、舞台に上がる者それぞれが人生をかけてその芸を磨き上げ、舞台上で火花を散らしているからこそ、人々を捉えて離さない文楽。300年以上続いてきた伝統の芸、その強靭さ、面白さ、人の心に訴えかける力は半端なものではありません。
知れば知るほどに奥深い魅力を放つ文楽の世界、まずはぜひ、劇場に足を運んでみてください。
劇場情報
Picture courtesy of 国立文楽劇場
文楽を定期的に上演している劇場は、大阪の「国立文楽劇場」、東京の「国立劇場」の2つがあります。
文楽発祥の地・大阪の国立文楽劇場では、定期的に文楽公演が行われています。
国立文楽劇場には、幕見席という当日券があるので、初めての方はこちらを利用するのがよいでしょう。あらかじめ演目の予習をして、イヤホンガイド(日本語・英語)を借りるのがオススメです。
また、東京の国立劇場(小劇場)でも、年に数回、文楽の公演を行なっています。
国立文楽劇場 公式HP:
https://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html
国立劇場 公式HP:
https://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu.html
国立文楽劇場、国立劇場ともにチケットのweb予約はこちらから(英語)。
https://ticket.ntj.jac.go.jp/top_e.htm
そのほか文楽イベント
ほかにも、不定期に文楽のイベントが行われています。日本財団が主催する「にっぽん文楽」は、毎年野外で行われる公演。
劇場での公演では基本的に飲食はできませんが、にっぽん文楽はお酒を飲みながら、ご飯を食べながら観られる、というのがコンセプト。江戸時代の庶民の娯楽だった文楽の原点を感じさせてくれる公演です。2019年の公演は終了し、2020年にも予定されています。
日本にいらした際は、ぜひ日本の伝統芸能・文楽に触れてみてください!
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In cooperation with 吉田勘彌、鶴澤友之助、豊竹咲寿太夫、にっぽん文楽、人形浄瑠璃文楽座
MATCHA Editer.