「福島ホープツアー」――地域の再生、そして未来への希望に出会う
福島県は、2011年に発生した東日本大震災による地震と津波、原子力発電所の事故で甚大な被害を受けました。本記事で紹介するツアーでは、福島の復興を担う施設や、廃炉の状況や事故当時の福島の状況を知ることができる施設を訪れます。復興への希望を抱く、地元の人のお話も伺うことができます。
希望を求めて―― 福島1泊2日ツアー
福島県は、2011年3月11日の東日本大震災による被害を受け、いまだ復興の途中にあります。震災では、津波や、「福島第一原子力発電所」(以下、福島第一原発)での放射性物質の放出を伴った事故が発生しました。
本記事で紹介する、1泊2日の「ホープツアー」では、地域の復興に貢献する施設を訪れます。震災で福島に何が起こったのか事実を知り、廃炉に活用される技術や、放射能に関する知識を深めたりさまざまな取り組みを行う住人たちと話すことで、福島の人々が復興に向けてどのような取り組みをしているのかを、詳しく知ることができます。それに、福島県が2040年頃には県内エネルギー需要の100%相当量を再生エネルギーで生み出すという目標についても知ることができます。
JR郡山駅に集合
福島ホープツアーの集合場所はJR郡山駅。ツアーには通訳ガイドが同行し、海外からの参加者は英語通訳を申し込むこともできます。
最初に貸切バスで、郡山市から福島県東部の浜通り地方に移動します。浜通りは、震災でもっとも甚大な被害を受けた地域。車内では、地域に詳しいフィールドパートナーが、震災や福島の現状について解説してくれます。
この日のフィールドパートナーは、上の写真の菅野孝明さん。浪江町のコミュニティ再生事業を行う「まちづくりなみえ」の事務局次長を務めている方です。
参加者は携帯用の線量計を渡されるので、ツアー中いつでも放射線量を計測できます。
最初に、コミュタン福島で放射線について学ぶ
福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」は、三春町(みはるまち)にある県の施設です。3.11の地震と津波、そして、今の福島の地震、放射線について知ることができます。
コミュタンのスタッフは、福島第一原発で何が起こったのか、模型を使いながら説明してくれます。被災地に関する質問にも、積極的に答えてくれました。
避難している住民や、発電所で廃炉作業に携わっている人の数、訪れる観光客の数など、浜通りエリアのデータも展示されています。放射線に関する展示では、自然環境で浴びる線量や、危険なレベルの線量についても説明されていました。
コミュタンに来れば、福島のほとんどの地域での生活が安全なことがわかります。福島への旅行を考えている人が安心できる情報も揃っています。
東京電力廃炉資料館で福島第一原発の現状を知る
次に、津波によって大きな被害を受けた富岡町へ行きます。2年前に開業した「富岡ホテル」で昼食をとり、「東京電力廃炉資料館」に向かいます。原発の廃炉に向けて、どんな作業が行われているのかを紹介する施設です。
原子炉のメルトダウンについての説明を受けたあと、原発の現状を伝える展示へと案内されます。2Fの上映室では、廃炉の過程が詳しくわかるビデオを鑑賞できます。
いま、福島第一原発では、溶けた核燃料を安全に取りだす準備が進められています。ロボットを使い、破損した格納容器の状態を調査し、具体的な方法を検討しているところだそうです。
展示を見ると、その作業がどれほど困難なことかよくわかります。同時に、安全な廃炉に向けてあらゆる手段が検討されていることも理解できました。
帰還困難区域・双葉町を通過
次の目的地に向かうため、バスは国道6号を走って双葉町を通過します。町の一部が「帰還困難区域」に指定されている双葉町。短時間の滞在では問題ない線量でも、土壌の汚染により人が生活できない状況です。
道路沿いに並ぶのは、鍵がかかったままの家主の戻らない家。帰還困難区域に住んでいた住民は、物理的なバリケードにより自宅に戻ることを制限されています。
このツアーで訪れたほかの地域では、線量計の表示が1時間あたり0.2マイクロシーベルトを超えることはありませんでした。しかし、双葉町では、2.7マイクロシーベルト/時間と表示され、訪問するのに危険なレベルではないものの、数値の違いに驚いてしまいます。
復興中の浪江町を散策
震災前、浪江町には約2万人が住んでいました。震災後に出された避難勧告は、2017年にようやく解除されたばかり。現在、一部の住民が帰還しています。
6年も時間が止まっていた浪江町では、商店もなく、経済や雇用も失われてしまいました。そのため、フィールドパートナーの菅野さんが取り組む浪江町の活性化事業には、雇用や施設、事業を作りだすことも含まれています。
ツアーがはじまった2019年11月時点では、浪江の人口は1,000人ほどでした。町は徐々に再建されつつありますが、ほとんどの建物は住民が戻らないまま。雑草も生い茂っています。
散策中に筆者は、これまで見たこともないほど美しいススキの草原を目にしました。ススキは本来、広い野原に生育するもの。町内に生い茂るススキを目撃して、どうしようもなく切ない気持ちになりました。
"生きる"ことの象徴「請戸小学校」
浪江町の東端、太平洋に面した地域・請戸(うけど)。2011年3月11日に津波の直撃を受けました。波の高さは15メートルにも達していたそうです。
建物で残るのは、かつての「請戸小学校」のみ。地震直後、津波警報が発令され、校舎にいた児童たちは西側の高台へと避難し、全員が無事でした。校舎は"生きること"を象徴する建物として残されています。
ツアー1日目の最後の目的地は、請戸の西側の高台にある「大平山霊園」です。地震と津波で亡くなった方々のために建てられた慰霊碑があります。
広野町に宿泊
宿泊先は、2日目に訪れる施設の近くにある「ハタゴイン福島広野」です。2018年に広野町で開業した快適なホテルで、ゆったりとした明るい客室に加えて、大浴場もあります。
福島原発の事情についてのレクチャー
夕食後に、地元の方のお話をうかがう機会がありました。元東京電力の職員として、福島第二原子力発電所で被災した吉川さん。
現在、一般社団法人AFW (Appreciate FUKUSHIMA Workers)の代表を務めています。東京電力を退職した吉川さんは、被災地の「今」と廃炉の現状を伝えています。
吉川さんは模型を使いながら、福島第一原発の構造や事故が及ぼした影響、そして、現在の状況を説明してくれました。
原子力は、発電効率が高く、社会を維持するために欠かせないのかもしれません。その一方で、環境に取り返しのつかない損害をもたらすこともあります。吉川さんのお話は、原子力利用の是非を聴衆自身に問うものでした。
楢葉遠隔技術開発センターを訪問
ツアー2日目は、「楢葉遠隔技術開発センター」を訪れます。廃炉作業で使われるロボットや技術を検証する施設です。
施設の目的について説明をうけたあとは、原発の破損した格納容器の内部をVR技術で見ることもできます。
広野町でボランティア活動
次に訪れた「広野町公民館」でお会いしたのは、NPO法人ハッピーロードネットの理事長、西本由美子さんです。
ハッピーロードネットは、地元の子どもたちが地域づくりに参加する機会を提供しています。そのひとつが、広野町に美しい桜並木をつくるプロジェクトです。
ホープツアーの参加者はボランティアとして、1時間ほど桜の下の雑草を刈りました。ささやかな貢献ですが、地元の人たちと共通の目標に向かって作業するのはよい経験になります。
フィールドパートナーとの意見交換のワークショップ
福島ホープツアーの最後には、参加者の意見交換のワークショップが開かれます。フィールドパートナーが司会役をしてくれます。
ここでは、「浜通りを訪れて、想像していたほど状況が悪化していなかったことに安堵した」という人や、「住民たちの未来に対する前向きな態度に圧倒された」という人など、さまざまな意見が出ることでしょう。ほかの参加者との意見交換は、旅の貴重な思い出になります。
その後、バスでJR郡山駅に移動します。フィールドパートナーやほかの参加者とはここで別れます。
未来への希望を探る
1泊2日の福島ホープツアーに参加したあとは、自分が少し変わったことに気づく方もいるでしょう。出会った人々のさまざまな物語、そして自分の眼で見たものが、これまでの考えを変えてしまうに違いありません。
希望をテーマにしたこのツアーの主催は「Wondertrunk & Co.」。ありのままの日本を見てみたい旅行者に、あまり知られていない地方を紹介する会社です。
ぜひ「福島ホープツアー」の公式サイトをご覧ください。
Written by Ramona Taranu
Supported by Wondertrunk & Co., Ltd.