福島の文化と魅力を知り、震災復興を応援!在日台湾人が発信する「福島前進団」
2011年3月11日に起こった東日本大地震から、2021年で満10年。この歳月を経て、福島の今はどのようになっているのでしょうか。2020年の年末、5名の在日台湾人が被災地と観光地を訪れ、福島について感想を語ってくれました。
「福島前進団」とは?
「福島前進団(Pop Up Fukushima)」とは、福島県の復興へ向けた10年間の努力や現在の状況、多くの魅力を台湾の若者たちが発信していく活動です。台湾と福島の人々の多元的な交流を促進し、台日相互の関係人口の増加を目標としています。
2020年11月、5名の在日台湾人が福島に訪れ、7日間かけて福島をめぐり、地元の人と交流しました。彼らの見た福島の現状をみなさんにお伝えします。
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福島を訪れた5名の台湾メンバー
Picture courtesy of 福島前進団
5名のメンバーは、行く前と後でどのような気持ちの変化があったのでしょうか。彼らが見てきた福島の「今」と、お気に入りの観光スポットも一緒に紹介します!
1.呉廷中(ゴ テイチュウ)さん/ニックネーム:大衛(ダーウェイ)
Picture courtesy of 福島前進団
今回のチームリーダーを務めるのは、来日して7年目になる大衛さん。普段は自営業をしています。
大衛さんは在日歴も長いため、「福島の状況も知っていた」と話します。しかし、福島には特別な印象をもっておらず、行きたい観光地として候補にあがったことはなかったそうです。
ところが、7日間の体験を通して「もし“福島”の2文字を見て、イコール原子力災害としてしまうとしたら、とても大きな損失です」と言います。福島には多くの観光スポットや、多様な特色と文化があり、福島の人々もそれぞれの物語を生きていることを感じたようです。
「福島に残った人々の話を聞き、この10年来、誰もが辛い経験をしてきたのだと実感しました」
それでも、彼に話してくれた人は、笑顔で未来への希望を語っていたそうです。
「より多くの人に『福島の現状』を知ってもらいたい。その上で、メディアの報道の真偽を判断し、福島に実際に足を運んでほしい」と大衛さんは語ってくれました。
Photo by pixta
大衛さんが一番好きな福島の名所は、田村市の「あぶくま洞」です。かつてこの周辺は採石場でした。そして、1969年の採掘中に、偶然発見された天然の鍾乳洞があぶくま洞です。まるで神の手によって創造されたかのような鍾乳洞の内部は、約8,000万年の歳月をかけて作られたと言われています。
洞窟の全長は約600メートル、鍾乳石の種類の多さは東洋一だとか。洞窟内の道はきれいに整備され、足元が濡れる心配はありません。ただし内部を見学する際は、体を屈めたり、階段を登ったり、狭い場所を通り抜けたりする必要があるので、動きやすい服装で行きましょう。
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2.李昀霏(リ インヒ)さん
Picture courtesy of 福島前進団
東京在住6年目の昀霏さん。今回初めて福島を訪問します。訪問前の福島には、「危険」「原発事故」などニュースで聞くような印象を抱いていました。
「福島のみなさんが目標としているのは、ただの『復興』ではありません。日本の最新技術を駆使して、住民が震災以前よりももっと暮らしやすい環境をつくることなのだと、実際に訪れてみて分かりました」
原子力発電所へ足を運んだ時は、重い空気を感じたそうです。「多くの無名の英雄たちが最善を尽くし、自分を犠牲にする精神はとても偉大だと感じました」と話します。
彼女も「福島前進団」を通して現状を伝え、福島のみなさんの努力を感じてほしいと願っています。
Picture courtesy of 李昀霏
昀霏さんがもっとも好きな福島の観光スポットは、会津 芦の牧温泉の「大川莊」。大川荘にある複雑な階段が、日本の人気アニメのワンシーンに似ていると、国内外で一気に話題になりました。
大川荘は、以前から何社ものテレビ取材を受けてきた有名な温泉宿で、大勢のアニメファンが宿泊していくそうです。上の写真にある赤い舞台では、決まった時間に三味線の演奏が行われ、幻想的な雰囲気が味わえます。
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3.白石えりかさん
Picture courtesy of 福島前進団
日本に来て6年、現在は沖縄で働いている白石えりかさん。東日本大震災は彼女にとって、日本と強い縁ができたきっかけなのだそう。白石さんは東北地方が大好きで、震災後は毎年、寄付を行っていました。福島へも3回行ったことがあります。
東北の中でもとくに福島が好きな彼女。現地の人の人情や伝統文化、美しい景観、食べ物など全てが彼女を引きつけるそうです。
「台湾人の価値観を日本のみなさんにも知ってもらい、台湾と日本が交流しあうことで福島への理解も深め、多くの台湾人・日本人が福島に遊びに来てほしいと思っています」と話してくれました。
Picture courtesy of 白石えりか
福島県の中でも、白石さんがもっとも好きな場所は南相馬市の「小高区(おだかく)」です。ここを訪れた時、現地の人々の温かいおもてなしや、助け合いの精神に感銘を受けたそうです。
また、国指定重要無形民俗文化財にも指定されている、地元の一大行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」が行われる相馬小高神社にも訪れたそう。野馬追は、野生の馬を神社へ神馬として奉納する神事で、「絵馬」の原型とも言われています。
桜の名所ともいわれる小高神社は、小高城跡内にあります。現地の人々にとって大切な場所です。
4.許宸瑋(キョ シンイ)さん
Picture courtesy of 福島前進団
東京在住の留学生である許宸瑋さんは、今回初めて福島を訪れました。福島を訪問する前は、「震災の影響で今も荒地のままだろう」と思っていたそうです。
「実際に福島を歩き、現地の人々と交流することで、福島と日本のほかの地域であまり差はないことを、強く実感しました」と話します。
また、農家をはじめとした住民の方々が、「自分たちの手で育てた農産品が、日本中の人の手に届くように」と願って、この10年間さまざまな努力を重ねてきたことに、深く感動したと言います。そして、「この人たちのために少しでも貢献できることがしたい」と思うようになったそうです。
「みなさんに、福島の人々と物語を知ってもらいたいと思っています」と話してくれました。
Picture courtesy of pixta
宸瑋さんにとって印象深かった場所は、福島県の内陸、会津地方にある自然豊かな柳津町(やないづまち)でした。柳津町は、約3,000人ほどの小さな町。福島の縁起物「赤べこ」誕生の地と伝えられています。
400年以上前に、この地域にある円蔵寺の本堂が大地震で壊れてしまいました。そして、再建したときに赤毛の牛の群れがやってきて、木材の運搬を手伝ってくれたといわれています。人々は感謝の気持ちを込めて、この赤毛の牛を「赤べこ」と呼んだといわれています。
「赤べこ」は、不屈の精神と力強さを象徴しています。現在でも赤べこ関連のおみやげはとても人気があり、場所によっては絵付け体験もできます。
5.謝秉澄(シャ ヘイトウ)さん
Picture courtesy of 福島前進団
秉澄さんは京都在住の大学院生です。彼が抱いていた福島の印象も、多くの人と同じように「原子力災害があった場所」でした。福島へ訪れたら、震災による大きな傷跡を見ることになるだろうと思っていたそうです。
しかし実際に行ってみると、多様な先端科学技術を駆使し、官民一体となって復興を進めている様子を目の当たりにしました。
地域住民の「この土地から離れたくない。自分の手で、故郷の復興に力を尽くしたい」という姿勢にも心を打たれたそうです。
「福島の風土と人々の想い、本当の現状をみなさんに理解してもらえる活動だと感じました」と、福島前進団の活動の意義を語ってくれました。
Picture courtesy of 謝秉澄
秉澄さんのもっとも印象に残っている場所は、甚大な災害を受けた福島県浪江町の「請戸(うけど)小学校」です。地震による津波が襲ってきたとき、100名近くの教師と生徒が津波から逃れ、1.5キロメートル離れた太平山の上に避難することができました。
請戸小学校の校舎は震災遺構として残っています。校舎の上には今も時計がかかっており、津波が襲ってきたその時刻で止まっているそう。校舎の損壊状況からも、津波の恐ろしい脅威が想像できます。地震や津波について、深く考えさせられる場所です。
福島の応援に参加しよう!
2011年3月11日の東日本大震災から10年。福島は多くの困難を乗り越えてきました。今回、台湾の人たちが自分の足で福島を歩いたことで、彼らから見た今の福島の、本当の姿を伝えてくれました。
福島の人、モノ、コトをもっと知りたくなった方は「福島前進団」の公式HPへ。より多くの「福島前進団」の活動を知ることができます。
このほかにも「福島前進|福島情報自由分享區」というFacebookグループに参加すれば、福島が発信した情報をたくさん受け取れますよ!
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Written by Jacky Chen
Main image courtesy of 福島前進団