福島県の今――被災地を巡る1泊2日ツアー
福島県浜通り地域(太平洋沿岸地域)では、2011年3月の東日本大震災で、地震、津波、原発事故の複合災害に直面しました。しかしさまざまな方からの支援のもと、2020年現在は、一部地域を除いて避難指示も解除され、旅行者も訪れるようになっています。本記事では被災地を巡るツアーの参加レポートをお届けします。
訪れて確かめる福島の現状
2011年3月11日、福島県の浜通りと呼ばれる太平洋沿岸地域では、3つの災害に襲われました。マグニチュード9.0の地震と津波、そして福島第一原子力発電所の原発事故といった、史上初ともいえるほど広範囲の複合災害に見舞われたのです。
地震で住宅が崩壊したり、津波で流されたりしただけでなく、多くの人々の命が失われ、また原子力事故により数万人もの住民が長期間避難を余儀なくされました。この災害をうけ、日本では復興支援や防災活動の政策見直しを続けています。
そして多くの人々が除染や町の再建に努めた結果、2020年現在では、一部地域を除き安全が確認され、一般の人々も訪れるようになりました。
しかし未だ課題は多く、引き続き地元の自治体や県、国がこの地域の支援を続けているものの、完全な復興に至るまで数十年はかかるといわれています。
実際に福島県浜通りを訪れることは、自然災害や被災後の復興作業、そして地域社会の再建を考える契機となるでしょう。
Japan Wonder Travelの福島1泊2日ツアー
Japan Wonder Travelは、福島県の被災地域を巡るツアーを主催している会社です。参加者はさまざまな情報施設や住民がかつて避難をしなければいけなかった町を訪れ、地元を愛する住民の方々に直接話を聞き、福島の復興や抱える問題について学びます。
詳しくは下記リンク先をご覧ください。
福島県被災地1泊2日ツアー
この記事では、来日してから3回福島県を訪れている、カリフォルニア州出身のMATCHA編集者が1泊2日ツアーの様子をお伝えします。
訪れる施設やお会いできる地元の方々は、ツアー日程によって変わる場合がありますのでご注意ください。
1日目――かつての福島県を訪ねる
ツアーバスは午前中に東京を出発しました。集合場所は東京駅、案内役は英語に堪能なガイドの方です。東京から福島県の最初の目的地までの移動時間は、途中に休憩を挟んで約3時間です。
車内では、2011年に福島で起こった3つの災害と、現在行なわれている除染作業や復興の状況についてガイドの方が解説してくれました。
バスの中では、参加者全員にガイガーカウンター(放射線測定器)が配られます。
ツアーで訪れる場所は、避難指示が解除され安全が確保された場所です。ツアー中、ガイガーカウンターを使って放射線量を計測してみてください。
東京電力廃炉資料館
最初の目的地は富岡町にある東京電力廃炉資料館です。富岡町は原発事故による避難指示が出ていましたが、2017年に一部区域を除いて避難指示が解除されました。
資料館では原子炉のメルトダウンの状況や現在進められている廃炉作業の内容を、ビデオや資料から知ることができます。資料は英語と日本語に対応しています。
さくらモール とみおか
資料館の次は富岡町唯一のショッピングモール、さくらモール とみおかで昼食を取りました。フードコートが併設された店内はとても広々しています。営業時間は11:00~19:00です。
帰還困難区域をバスで通過
バスは国道6号線(※1)沿いの帰還困難区(※2)域を通過します。バスの中から放射線量を図ると1.1マイクロシーベルトと計測されました。これは胸部CTスキャン等の放射線医療で使われる量よりも低い値(※3)です。
※1:国道6号線……東京都と仙台市を結ぶ主要幹線道路。
※2:帰還困難区域……放射線量が比較的高く、今も立ち入りが制限されている地域。
※3:米国環境保護庁の公式HP(英語)、環境省の公式HP(日本語)参考。
中間貯蔵工事情報センター
中間貯蔵工事情報センターでは安全への取組などを紹介しています。また近くには中間貯蔵工事施設もありました。除染により発生した土壌などを、最終処分するまでの間貯蔵する施設です。今後30年に渡り利用される予定ですが、最終処分場はまだ決まっていません。
地元の語り部と富岡町を歩く
見学を終え、富岡町を故郷にもつ渡辺さんと会いました。震災後は12回も転居を繰り返し、現在は近隣の郡山市に家族と住んでいます。
渡辺さんは、富岡町の語り部をすることで故郷とのつながりを保ち、復興のために役立ちたい、と考えていらっしゃるそうです。
渡辺さんとともに、富岡町を巡りました。上の写真は桜並木が有名な通り。2017年から「さくら祭り」が復活し、夜桜のライトアップも行われ、町が賑わいます。
渡辺さんはこの土地の過去と現在、そして未来について話してくれました。渡辺さんの情熱がこもった話は聞いていると元気をもらえるほど。また富岡町を訪れようと思わせるものでした。
ならはCANvas――地域再生の担い手
渡辺さんに別れを告げたあとは、2015年に避難指示が解除された楢葉町の、コミュニティセンターみんなの交流館ならはCANvas(以下、ならはCANvas)を訪れました。
建物の裏には、日本の伝統的な家屋にある縁側があり、まるで大きな屋敷のようです。
施設内は暖かみのある設え。地域の方々によって飾り付けがされています。ここで定期的に、町の行事やワークショップ、パーティが開催されているそうです。
ナショナルトレーニングセンター Jヴィレッジ
1日目はJヴィレッジに宿泊しました。Jヴィレッジは楢葉町・広野町にある、ホテルが併設された大型トレーニングセンターです。
2019年のラグビーW杯ではアルゼンチン代表チームがここで合宿を行ないました。また2020年の東京オリンピックでは聖火リレーのスタート地点でもあります。
ホテルはリラックスできる空間が広がっており、さらにおいしい食事も食べられます(上の写真はヴィーガンの夕食メニューです。食事制限のある方は予約の際、ホテルにご相談ください)。
2日目――福島の未来に出合う
浪江町を巡る
翌日は、2017年3月に一部で避難指示が解除された浪江(なみえ)町を訪れました。沿岸部にある請戸小学校は、校舎が震災遺構として残されています。
津波警報の発令後、緊急避難所として指定されていた校庭に残ろうとする先生たちを、児童が避難しようと説得しました。そのおかげで、全員が近くの高台まで無事に避難できたそうです。
次はJR浪江駅周辺を訪ねました。ここは災害によって壊れた建物の解体作業が進められていますが、震災当時の街並みが一部残されたままです。
2020年1月現在、浪江駅(上の写真右下)からは仙台方面への列車が発着していますが、東京方面の富岡駅との間は現在も不通。2020年3月には全線開通する見込みとのことです。
浪江町の仮設商業施設「まち・なみ・まるしぇ」で昼食をとりました。日本の家庭料理・焼きそばのお店やお洒落なカフェが並んでいます。おみやげや地元の名産品を扱っているお店もありました。
福島の未来を見据えた住民たち
午後は住民の方々にお会いし、現在と未来の福島を考える上でいろいろな考え方を教えていただきました。
たとえば、最初にお会いした吉澤さん。吉澤さんの管理する牧場は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内にあります。そのため原発事故後から2か月後に国から家畜の殺処分命令が出されたのですが、吉澤さんはそれを拒否し、被曝した牛たちの世話を続けました。
牛飼いとして数十年ものキャリアを積んできた吉澤さんは、自身の行動が人々に災害や原発事故、そして復興支援について考える機会になってほしいと考えました。そこで一般社団法人を立ち上げ、今は農家の支援などを行う活動をしています。とても情熱があり、活動的な方です。
最後にお会いした荒川さんは2017年に浪江町に戻り、友人や親戚も戻れる場所になることを願い花卉(かき)栽培に従事されています。震災前は農業の仕事をしていましたが、すっかり変わってしまった浪江町を再び明るくするために、この仕事を始めたそうです。
除染作業(汚染された表土を削りとる作業)によって花卉栽培に不向きとなってしまった地域の土壌。それでも熱心に栽培を行い、私たちに美しいトルコギキョウをプレゼントしてくれました。
荒川さんに別れを告げると、いただいた花束とともに東京へ戻る時間です。
福島県からすべての人へのメッセージ
福島県沿岸部の被災地を訪れると、普通の観光旅行とは異なる思いが芽生え、忘れられない経験になるでしょう。放射線量は安全なレベルに戻り、震災当時と比べ復興の作業も進んでいるものの、この地域に震災前と同じような生活が戻るまでは、まだ時間がかかります。
ツアー中、驚いたり、悲しんだり、しかし希望を感じたりする経験がたくさんありました。福島県の情景はきっと、私たちの心に深く残り、また訪れたいと思わせてくれるはずです。
ぜひ、福島の現状を肌で感じに訪れてみてください。
福島県被災地1泊2日ツアー
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In cooperation with Japan Wonder Travel, KNOT WORLD
Sponsored by 経済産業省
Written by Jasmine Ortlieb