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【鎌倉】四季の花や紅葉が楽しめる花のお寺!「錦屏山瑞泉寺」
鎌倉に現存する唯一の鎌倉時代に作られた日本庭園を持つ「錦屏山瑞泉寺」は、四季折々の花や紅葉のスポットとして知られています。この記事では、概要やオススメスポットなどを紹介します。
12~14世紀にかけて日本の政治・文化の中心地となった鎌倉には、すばらしいお寺や神社が多く残っています。「錦屏山瑞泉寺(きんぺいざんずいせんじ)」は、こうした鎌倉の中でも特に美しい花や紅葉が楽しめることから、花のお寺と呼ばれています。
錦屏山瑞泉寺とは
錦屏山とは、「錦(にしき)の屏風(びょうぶ ※1)の山」という意味です。
瑞泉寺は、紅葉の季節になると、周囲の山が錦で飾られた屏風のように美しく色付くことから、このように名付けられました。
錦屏山瑞泉寺は、花のお寺とも呼ばれています。
春には山桜などにより、寺門から続く道が、まるで花の回廊のように美しく彩られます。また、夏はあじさい、冬は冬桜や水仙など、一年を通じてさまざまな花や植物が楽しめます。
※1:屏風……部屋の仕切りや装飾に用いる折りたたみ式の家具
鎌倉時代の唯一の日本庭園も
錦屏山瑞泉寺は、1327年に夢窓国師(むそうこくし)によって建てられました。
夢窓国師は、鎌倉時代(※2)から、その後に続いた南北朝時代(※3)において、禅仏教の一派、臨済宗(りんざいしゅう)の興隆に大きな役割を果たした僧です。
南北朝時代の政府の最高権力者だった後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や足利尊氏(あしかがたかうじ)も深く信望するなど、大きな影響力を持っていました。
禅宗では、美しい庭園を愛することは、自身の心を磨く修行につながると考えています。こうした背景から、夢想国師は瑞泉寺の近くの岸壁を掘って美しい庭園をつくりました。
この「瑞泉寺庭園」は、鎌倉時代に作られた唯一の日本庭園として、歴史的価値があります。
瑞泉寺には、江戸時代(1603年~1868年)の末期に多くの人々に影響を与えた思想家、吉田松陰(よしだしょういん)をはじめ、歴史的な偉人や文学者が多く訪問しており、境内の中にはさまざまな記念碑があります。
なお、東京の浅草、京都にも同じ「瑞泉寺」という名前のお寺があります。こちらはどちらも浄土宗(じょうどしゅう)という異なる仏教の宗派のお寺となります。間違えないように気を付けましょう。
※2: 1185年~1333年まで続いた、鎌倉に置かれたサムライによる政府である鎌倉幕府が政権を握っていた時代
※3:1336年~1392年まで続いた、サムライと貴族が覇権を争った時代
瑞泉寺への行き方
瑞泉寺へ行くには、JR横須賀線あるいは江ノ電の鎌倉駅東口から、「大塔宮行」のバスに乗り、終点の大塔宮で下車。そこから徒歩10分〜15分程度です。
瑞泉寺のオススメスポット
瑞泉寺庭園
鎌倉の中に現存する、鎌倉時代につくられた唯一の庭園です。岩盤を彫ってつくられており、日本庭園の様式の一つである、小ぶりで洗練された書院庭園の先駆的事例でもあります。
天女洞
境内の北側にある岩壁には天女洞(てんにょどう)、東側の岸壁には坐禅洞(ざぜんどう)と呼ばれる、座禅などの修行をするための大きな洞が掘られています。
この前には池が掘られ、橋が架かっているなど、さまざまな造形が楽しめます。
本堂
本堂には、釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)のほか、南北朝時代に作られたと言われる木造による夢窓国師の坐像、江戸時代に茨城県にあった水戸藩の藩主だった徳川光圀(とくがわみつくに)が寄贈したと言われる木造の千手観音菩薩坐像が置かれています。
本堂の脇には、鎌倉市の指定天然記念物である黄梅(おうばい)と冬桜が植わっています。
どこもく地蔵尊
境内の左脇にあるお地蔵です。どこもくとは、「どこに行っても苦しみがある」という意味です。
昔、この寺の番人が貧しい生活に耐えかねて逃げ出すことを考えた時、夢に現れたお地蔵様から「どこもく、どこもく」と言われ、「苦しいのはどこも同じなのだ」と気付き、その後も寺を守り続けたという逸話が伝わっています。
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企業のIR/CSR分野のPR、国際協力分野の情報誌編集を経て、2017年10月にMATCHAに参加しました。2019年4月から香川県三豊市に移住。訪日観光客向けの記事を書くほか、地域おこしにも携わっています。
インターネットサービスやレンタカー、ホテルなどのほか、また西日本の観光スポットの記事を主に担当しています。