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“危険な街”が、私に日本を教えてくれた――3年半住んだ東京・蒲田を歩く
海外から来た人で、日本の各地域にどんな特色があるか知っている人はあまりいないでしょう。 タイ出身の私が住んだ東京・蒲田は、治安が悪いことで知られている街。しかし、住んでみるとわかる、居心地のよさもありました。いつも歩いた散歩道を通って、その魅力を紹介します。
はじめの一歩を踏みしめた地「蒲田」
羽田空港を利用したことのある人は、「蒲田」という名前に聞き覚えがあるでしょう。しかし羽田空港が国際ハブ空港になる2010年以前、海外からの観光客にはほとんど知られていませんでした。
蒲田は、東京都の最南部にある大田区の中でも、さらに最南部に位置しています。2008年に初めて来日したとき、私も蒲田がどこにあるのか知りませんでした。覚えているのは、成田空港から1時間以上かけて電車で向かったこと。今でこそ日本語で取材もできますが、当時は車内アナウンスも聞き取れませんでした。
あまり治安がよくない、酔っ払いがたくさん、パチンコ店もたくさん……大半の日本人がこうしたイメージを抱いているため、蒲田は”危険な街”と言われています。しかし、3年半住んだ私にとって、この街は、日本を教えてくれた心地よい場所。
よく歩いた蒲田駅周辺と、桜や富士山に出会える河川敷を、一緒に歩いてみませんか。
飲食店がにぎわうJR蒲田駅の周辺
寝たいと思ったら気楽に寝ちゃうのが、蒲田スタイル
JR蒲田駅の出口は、東口と西口に分かれています。東口には大きなロータリーと喫煙所。全長4メートルほどのモヤイ像もありますが、不思議と違和感がありません。
ロータリーを渡ると、居酒屋や飲食店が軒を連ねるエリアが現れます。ここから道なりに10分ほど行くと、京急蒲田駅です。
西口の様子。以前はベンチがあって寝ている人が多かった。
初めて降り立った場所は、西口でした。「あれ、駅から出たはずなのに、まだ建物の中にいる?」と驚いたことを覚えています。
西口は「駅ビル」と呼ばれる、駅と融合した建物の中にあります。 駅ビルを出ると、ようやく外です。
駅を背に右の通りを行くと、当時通った語学学校と専門学校があります。蒲田は学生の街でもあるので、飲食店の値段もそれほど高くありません。
混然と置かれたお店の看板や自転車を見ていると、故郷のタイを思い出しました。しかし看板はすべて日本語。当時はこれが、私の目にはとてもかっこよく映っていました。
“初めて”を振り返る思い出の散歩道
初めて食べた感動の味。家系ラーメン「せい家」
ネギを細く切った白髪ネギがトッピングで乗っている、ネギらーめん
散歩へ行く前に腹ごしらえ! 家系ラーメン(※1)を知った初めての場所「せい家」です。豚骨スープと醤油を合わせた豚骨醤油は、豚骨をまるごと口に含んだような、豊かな香りと味わい。味噌ラーメンや醤油ラーメンの味を霞ませるほどの濃厚さを感じました。基本の「らーめん」は、なんと税別500円!
残念ながら、最後に訪れた2020年7月には、せい家は既に閉店していました。けれどほかにも支店があるので、公式HPを見てみてくださいね。
※1:家系ラーメン……豚骨醤油ベースのスープに太いストレート麺が特徴のラーメン。
何でもそろう、初めての商店街
商店街「サンライズ」入口。名前の通り、日の出をイメージしたデザイン
駅前にはサンライズという名の商店街があります。日本には、太陽に関するネーミングがたくさんある気がします。日本神話によると、最初の天皇は太陽の神・天照大御神の子孫であると言われているからでしょうか。
商店街とは、小さなお店が集まっている道のことです。カフェや書店、ドラッグストア、クリニック、服屋に100円ショップなど、お店のバリエーションも豊か。欲しいものは何でもここでそろいました。
サンライズと並行してサンロードという商店街もあります。 サンライズに比べ道幅は少し狭いですが、たくさんの商店がひしめき合っています。
サンロードに行ったらぜひ食べてほしいものがあります。それは、羽根つき餃子。
初めての羽根つき餃子
左から歓迎(ホアンヨン)、你好(ニーハオ)、金春(コンパル)
写真にある3軒の中華料理屋の羽根つき餃子は、蒲田の名物ともいえるでしょう。蒲田で、もっと言えば日本で、いや世界で初めて羽根つき餃子を生み出した、「蒲田餃子御三家」とも呼ばれています。
「歓迎(ホアンヨン)」は、パリッとした薄い羽根が特徴。具に混ぜ込まれている生姜とニラの香りが最高です。
「你好(ニーハオ)」で出される餃子の羽根は、見事に整えられた四角形。切り離すのをためらってしまうほどです。においに配慮して、ニンニクは入っていません。
最後の店は「金春(コンパル)」。もっちりとした厚めの皮に、具には白菜が刻み込まれていてとてもジューシー。
ちなみに、3軒の店主たちは兄弟です。ちょっと行ってみたくなったでしょう?
食後の運動に街歩き
サンロードを出て線路沿いの通り、バーボンロード(Bourbon Road)を歩きます。狭い路地の両側には、居酒屋やバー、焼鳥屋などが連なっていて、夜はとても賑やか。
線路をくぐって少し行くと、写真のような看板のある建物が見えてきます。ユザワヤは、ハンドクラフトが好きな人に人気の店。生地、刺繍用具、 ミシン、レザークラフト用具、文具、そしてさまざまな画材がそろっています。
専門学校に通っていたころは、いつもここで水彩絵具やアクリル絵具、粘土、木版、絵筆を買っていました。
後ろも振り返ってみましょう。ビルの屋上にカラフルな観覧車が見つかります。都内に現存する唯一の屋上遊園地・かまたえんです。
周辺には会社のオフィスもあります。ここには少し、恥ずかしい思い出が。
ある雨の降る朝、通学中にこの大きな門の前で、尻もちをついてしまったんです! 通勤中の社員さんたちに大勢見られてしまいました。お尻が凄く痛かったけれど、恥ずかしさの比ではありませんでした。
線路沿いの道は、昼夜を問わず人が行き交っています。駅から離れるほど、店の数や喧騒が少なくなり、とても静か。電車の音だけが鳴り響きます。
ガオー! 公園に大怪獣現る。
ここは西六郷公園。タイヤがたくさん置かれていることから、タイヤ公園とも呼ばれています。
写真にあるゴジラのような怪獣のほかにも、小さい怪獣、ロケット、そしてロボットがあり、夕方や休日は遊びに来た親子で賑わいます。
学校帰りの子どもたち。歩道橋の上から手を振っていました。下を走る2つの電車は、子どもたちに応えるかのように、警笛を鳴らしていました。
初めて見つけたアイスの自動販売機
歩道橋の階段そばにはアイスの自動販売機があります。アイスを売る自動販売機は初めて。そして買ったのもここが初めてです。
横から見ると魚の絵が浮かんでくる、ガードレールに施されたギミックも好き。
細い小道にかかる、涼やかな木のトンネル。タイでは自転車にあまり上手に乗れなかったのですが、日本に来てからすぐに上達しました。毎日こんなに狭い道を通っていましたからね。
自然あふれる河川敷へ
当時私が住んでいた場所から自転車で15分ほどいくと、広々とした河川敷があります。ここにはよく、時間を見つけてサイクリングに訪れていました。
最寄り駅は京急線の「六郷土手」駅。道を渡って左側へ少し歩くと、右に曲がる道があります。
土手に上がると、広い河川敷が左右にどこまでも続いています。ここは野球場、ゴルフ場、サッカー場などがある多目的スペースのような場所で、事務所に連絡をすれば誰でも利用できます。土日には野球チームが試合をする様子がよく見られました。
河川敷の先に流れるのは、山梨、東京、神奈川を流れる多摩川。もともとここは川の氾濫を防ぐための土地で、長い土手は堤防なのです。
初めて目にした桜並木
堤防の裏手には桜並木があり、春には薄桃色のきれいな桜が色づきます。
正直に言うと、日本に来る前は桜に特別な思いをもっていませんでした。ところがここで初めて目にしたとき、その魅力がやっとわかったのです。今では満開の桜を見ると、清々しい気分になります。
初めての“小さな富士山”
ここでは天気のよい日に富士山も見られます。距離は離れているので、見える姿は影のようです。
夕暮れが近づくほど増していく美しさ。一年を通じて日没の位置が変わっていくので、見ていてちっとも退屈しません。都会で暮らすとどこを向いてもビルばかり。こんなに美しい景色が毎日眺められるなんて、最高にセレブな暮らしだな、と感じていました。
思い出の詰まった小さな街・蒲田
日本には住めば都ということわざがあります。簡単にいうと、ずっと住んでいるとそこが居心地よく思えてくる、という意味。私にとって蒲田はまさに、住めば都でした。
難しい日本語、慣れない文化や慣習、馴染みのない街や人、イメージのついた“危険な街”……。それでもしばらく暮らしているうちに、戻ってくるとほっとする、自分の居場所になりました。
今は別の場所に住んでいますが、私が思う日本とは、賑やかさと落ち着いた雰囲気が共存する、蒲田のことです。