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展示作品は仏像10体のみ?こだわりと仕掛けに満ちた美の空間「谷村美術館」
展示作品は仏像わずか10体のみ。それらを展示するためだけに作られ、作品1つ1つに異なる部屋が設けられているーー。新潟・糸魚川市の「谷村美術館」は、それ自体1つの芸術作品のような魅力を放つ美術館。知的興奮に満ちたその内部をご案内しましょう。
10作品しかない美術館?
新潟県、糸魚川(いといがわ)。東京から新幹線で2時間強、海と空が濃く青く広がるこの場所に、世界にここだけの、人々の度肝を抜く美術館「谷村美術館」があります。
展示されているのは、わずか10体の仏像のみ。展示替えも一切ありません。
なぜなら、10体の仏像を展示する、そのためだけに建てられた美術館だからです。
1つ1つの展示室も、仏像がもっとも美しく映えるよう、その作品のテーマに従って設計されています。仏像の作者は、彫刻家・澤田政廣(さわだ せいこう:1894~1988)。仏像だけでなく、版画、絵画や書にも才能を発揮した芸術家です。
そしてこちらの奇妙な外観の美術館を作ったのが、日本を代表する建築家の1人、村野藤吾(むらの とうご:1891〜1984)。
この美術館は、澤田の彫刻作品に惚れ込んだ地元の建設会社「谷村建設」社長・谷村繁雄(たにむら しげお)が、村野に依頼して実現したものです。村野は依頼された当時、91歳でした。
村野は澤田の作品1つ1つを見て、「この作品にはどのような部屋がよいか」を考え抜き、自然光をふんだんに取り入れた唯一無二の空間を作り出しました。彼は依頼されてから2年後に亡くなるまで、この美術館の設計に心力を注ぎ、1983年に谷村美術館が開館しました。
古代遺跡のような外観
整然と砂が敷き詰められた美術館の前庭はシルクロードをイメージしており、あたかも砂漠の中に古代遺跡が屹立しているような印象を与えます。
外観は、雨に濡れると濃いグレーになります。冬に雪が降れば、白と黒のモノトーンの世界に。さらには、年月が経つにつれ、建物は経年変化でその味わいを増していきます。天候や季節、そして経る歳月によって、一度として同じ姿を見せない外観。取材時は青空とのコントラストが映えていました。
まっすぐ伸びた廊下を進めば、仏像が待つ美術館の入り口です。
その内部もまた、遺跡あるいは洞窟のよう。白で統一されたシンプルな空間で、太い円柱や波打つように湾曲した壁が、やわらかい印象を与えます。ところどころから優しく差し込む自然光によって、どこか暖かな雰囲気を醸し出しています。
本記事では、展示作品から7作品をご紹介。まずは、入口すぐ左の部屋に入りましょう。
※:取材用に許可を得て撮影しています。通常、館内や作品の写真撮影はできませんのでご了承ください。
1.自然光が降り注ぐ「金剛王菩薩」
天井から降り注ぐ光に包まれた、1体の仏像が現れました。作品名は「金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ)」(※1)。
金剛菩薩は、すべての力を引き寄せると言われています。自然光が作品1点に注がれるさまは、まさにすべての力が集まっているかのよう。
「金剛」の文字通りの意味はダイヤモンド。ダイヤのように硬く、何事にも破壊されず、惑わされない仏(※2)の知恵を象徴しています。
※1:菩薩……悟りを求めて修行を続けている者。
※2:仏……悟りを得た者。
谷村美術館には、順路を示す矢印はありません。1つの部屋を出れば、視線の先には次の作品が見えてきます。その仏像に導かれるようにして、次の部屋へと進んでゆくのです。
2.影にまで注目したい「天彦」
この美術館で唯一、仏像ではなく人間を描いた作品です。「天彦(あまひこ) 子供を抱く天使」と題されています(写真中央)。
母親が、戦争の空爆によって亡くした我が子を抱きとめています。「自分も死んで子どもとともに天に戻りたい」という、母の悲痛な思いが描かれています。
この作品は、像そのものだけではなく、ぜひ背後に映る影にも注目してみてください。左右に映る影が、母と子に手を添えているように見えないでしょうか。この親子を両手で包み、ともに天へ昇らせようとしている、と言われています。
美術館を設計した村野藤吾は、「どのような光が当たるのか?」だけではなく、光によって作り出される影の見え方まで計算し、作品ごとの部屋を作り出したのです。
3.黄金に輝く「曼珠沙華」
彼岸花(ひがんばな)、という花があります。手を広げたような赤い花は別名「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)と言われ、仏教の世界では天上に咲くという花の名でもあります。
「曼珠沙華」と名前がつけられたこの像は、彼岸花が美しく開くように、いくつもの手が開かれた千手観音(せんじゅかんのん)像(※3)です。こちらも影によって、その手が幾重にも重なり合っているように見えます。
※3:千手観音……「観音」とは、数多く存在する菩薩の中で「観音さま」として日本人に親しまれてきた菩薩。千手観音は、すべての人間や動物を救済するため、千の手と目を備えて変化した観音。
作品を見たら、一度下を向いてみてください。床に黄金の千手観音像が映り込んでいるのがわかります。
しかし、それを踏もうと前へ進んでも、あるいは後ろへ下がっても、その影を踏むことはできません。仏の姿を踏むことはできないのです。
今度は逆に、上を向いてみましょう。天窓の下に太い梁が通り、右と左側から光が分かれて差し込んでいます。
光の色はそれぞれ微妙に異なり、晴れの日や雨の日など、日によって色や光の入り具合が異なり、違った表情を見せるそうです。
4.きめ細やかな仕上がりが美しい「光明仏身」
奥まった部屋に、神々しい光に照らされた作品がありました。
この作品「光明仏神(こうみょうぶっしん)」のモデルになっているのは実在の人物、聖武(しょうむ)天皇の妻・光明皇后(701〜760)です。
彼女は仏教をあつく信じ、病人や貧しい人、孤児たちを救うために、現在でいうところの福祉施設を作りました。
木で作られているのにかかわらず、まるで陶器のような肌のきめ細やかさ、なめらかさ。そのおだやかな表情からは、弱き者を救おうとした温かな心が伝わってくるようです。
5.荒々しい木の味わいが感じられる「弥勒菩薩」
「光明仏身」から一転、ごつごつとした荒々しさを感じさせる仏像です。作品名にある「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」とは、仏になることが決まっている菩薩。すべての生けるものを救うため、はるか未来に姿を現すと言われています。
ほかの作品と違うのは、その素材です。他作品と同じく木像ですが、仏像作りには向いていないと言われる、日光の太郎杉(たろうすぎ)という硬い木をあえて使用しているのです。このことにより、素朴な味わいや力強さ、生命力を感じさせる仕上がりになっています。
見る角度によって表情も変わると言われており、左側から見るとややふっくらとした面持ち、右側から見るとシャープな顔立ち。この世に生けるものたちをどのように救うのか……その顔は思案をこらしているようにも思われます。
6.小さな仏像を下から見ると……
展示もいよいよ最後の部屋へ。その手前には、左右に小さな2体の仏像があります。この2体の仏像には、特に名前がつけられていません。
この仏像は上から見ると、やや頭が大きく、バランスが悪いようにも思えます。
しかし、下から見上げるようにして見ると、不思議とバランスがよく見えるのです。これには、「仏像は上から見下ろすものではなく、見上げるものなのだ」という彫刻家のメッセージが込められているのでは、と言われています。
7.慈悲深き「聖観音」
そんな2体の仏像の奥にあるのが、「聖観音(しょうかんのん)」。今回ご紹介する最後の仏像です。聖観音とは「観音さま」として日本人にもっとも親しまれている菩薩で、仏教の慈悲(※4)の精神を象徴する存在。
高さは3メートルを超え、いつくしみの心で見る者を包み込むように立ちます。その右手はすべてのものを引き入れ、左手はすべてものを救う、と言われています。
美術館での仏像を巡る旅は、これで終わりです。最後の部屋を出たあと、これまで歩いてきた廊下を振り返ってみましょう。
※4:慈悲(じひ)……仏・菩薩が命あるものをあわれみ、いつくしむ心。
そこには、1体の仏像も見えません。
「これまで歩んできた道を振り返っても何もない。前を向いて生きよ」という、人生にも例えられるメッセージが込められていると言います。
仏像鑑賞のあとは日本庭園へ
谷村美術館に隣接して、「玉翠園(ぎょくすいえん)」という日本庭園があります。
緑の間から川がゆるやかに流れる、静かで安らかな空間。背後にある山も、庭園の一部として見立てられています。
大きな窓を額縁として、まるで1枚の絵画のように庭園を眺めることができます。
喫茶もあるので、抹茶をいただきながらゆっくり庭を鑑賞しましょう。抹茶は地元のお菓子がついて500円(税込)。
アクセス
糸魚川駅
谷村美術館へは、糸魚川駅が最寄り駅です。東京から糸魚川駅までは、新幹線で約2時間5〜15分(指定席利用11,000円)。金沢からは、約50分(指定席利用5,380円)。
糸魚川駅〜谷村美術館のアクセス
糸魚川駅から谷村美術館までのアクセスはいくつかあります。徒歩の場合は約25分。
タクシーでは糸魚川駅アルプス口から約7分、1,000円程度。バスは糸魚川駅アルプス口の乗り場から乗車し、「蓮台寺(れんだいじ)入口」下車。約4分、100〜170円です。本数が少ないので注意してください。
また、糸魚川駅ではレンタサイクルを借りることができます。3時間500円、1日乗り放題で1,000円。駅構内の「アルプス口総合観光案内所」など3社あり、どこも料金は同じです。
糸魚川駅周辺には、天然のヒスイを探すことができるヒスイ海岸や、目の前の海で獲れた新鮮な魚が食べられる寿司店など、楽しめる場所がたくさんあります。レンタサイクルでほかの観光スポットと合わせて回るのもオススメです。
まとめ
谷村美術館は、1時間もあれば回れる、小さな美術館。しかし、細部にいたるまで計算され、思いが込められた空間は、それだけで1つの芸術作品と言えるもの。わざわざ糸魚川へ行く価値のある美術館です。
世界でここだけの谷村美術館、ぜひ訪れてみてください。
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In cooperation with 谷村美術館、新潟県
MATCHA Editer.